2012年11月19日月曜日

ドイツのお土産

お土産は正直結構悩んだ所だった。
日本はよその国に対し一面的なイメージを持つ傾向があり、
ドイツだとビール、ソーセージとかになるのだろうか、
もちろん間違いではないから、
それに沿ったものを買うのも手だろう。
相手には、ああ、って分かりやすい。
敢えてそのイメージの裏を狙うって手もある。
その場合には意外性とか、
長く住んでいた人間ならではのものが渡せるだろう。
しかし、一時期の旅行ではなく、
長く住んでいると、どうしてもその感覚はなくなっていく。
日本に居て珍しいものもよく分からなくなるし、
ぶっちゃけた話、今の時代、世界のどこに行ったって
よほど極端出ない限り、割と同じものが手に入るような気がする。
 
自分が買っていったお土産は以下のような感じ。
 
・大学のTシャツ。
大学のだったらロゴも酷く誇張されていたりはしないし、
普通のTシャツとして着て歩ける。
Tシャツだったら最悪気に入られなくてもパジャマに使えるし無難。
 
・大学やベルリンの熊のぬいぐるみ
ベルリンは熊林なので。小さい子供に。
熊と言えばシュタイフのテディとか有名どころはあれど、
探していたときはそれほどかわいいのは無かった。
値段も高い。
シュタイフのは、あれはやっぱ大人向けなんじゃないかとも思うし。
ぬいぐるみというかキャラ(?)ものだと
アンぺルマンとかちょっと有名らしい。
確かにショップは常時賑わっている印象。
しかしアンぺルマンの何をってなるとちょっと難しかった。
 
ちょっと高めの何かが欲しいってなら、
ヒューゴ・ボスとかエティエンヌ・アイグナーとか
ドイツブランドはあるが、自分が入れそうなのは
ヒューゴ・ボスくらい。
 
・食べ物

ジャガイモ。
お湯を沸かすだけでOKのこんなやつ。
他にもパスタとかもあり。
シュペッツレとかあの辺り。
住んでる人には値段も分かろうものだが、
実は1箱/袋1ユーロ前後。
安上がり過ぎて逆に見落としてしまいやすいくらいだが、
これでドイツらしいものが食べられるだろう。
 
自分はアルコールは取らないのでビールはよくわからない。
アルコールを送る/運ぶのは面倒な気もする。
ウインナー。あれはやっぱ新鮮だから美味いのだと思う。
スーパーで買うにも要冷蔵。
瓶あるいは缶詰もあるが、
あれは世界中どこでも同じ味な気がするので、
今回はパスした。
 
煮込み料理あるいは鍋(?)が作れる粉。
上のよりさらに安いことはさておき、
これなんかも材料を揃えて、
この粉と一緒に煮込むだけだから
対費用効果抜群と言える。
 
ただ今回失敗したなあ、と思ったのは、
完成まで時間をかけて煮込むよう書かれたものばかり
チョイスしてしまったことか。
10分、15分くらいで出来るやつを選んでおくんだった。
まあ別にいいけど。
 
上のやつもそうだけど、
作り方の表記はドイツ語なんで、
作り方を教えるか書くか、
結局のところ作る際に自分が同席できる範囲に渡すお土産となる。
 

9月ともなればクリスマス用品が出回るので、
これらのようなものもありだろう。
シュトレンにシュペクラティウス。
クリスマスケーキに保存が効かない生クリームを使うとか、
おかしな習慣なんだとか何とか話題にも出来る。
 
後はちょっとしたお菓子。これは何でもよさそう。
一応ポッキーのドイツ版とか、そんなものも選んだりしたが、
どれも特にドイツ固有というものでもない。
でもちょっとした時に出す分には十分、とそんなところ。
チョコレートは解けるかもしれないし、
クッキーは割れるかもしれない、
これくらいだったら割れても解けてもまあ大丈夫だろう、
的なところをチョイス。これは時期にもよる。
 
その他。
本だったらドイツ語が読めなくても見て楽しめるもの、
たとえば風景の写真集とか画集とか。
 
そんなところかな。

成田到着

奇妙な事と思われるかもしれないが特に写真はなし。
遠足は家に帰るまでかもしれんが、
留学は日本に帰るまでなんだ。自分の中では。
特に写真にするネタがなかったってのもある。
やっぱ服の着こなし方は特徴的だな、とは思ったが、
そんなのは街中を見ればいいだけだし。
 
麻薬取り締まりとかのための(警察?)犬の
犬種が少しかわいかった。
 
荷物はすぐに出てきたことだし、
至ってスムーズにスカイライナーに乗り込む。
上野まで。
 
JRの上野駅は高校時代と大学の一時期通った駅。
構造は変わってなかったが、見かけはだいぶ変化していた。
成田にもあったがスターバックスなんかもここにもあった。
でも日本のスタバってコーヒーくれって言っても
それだけでコーヒーが出てこないんじゃなかったか。
注文に独自の暗号を開発したとか何とか。
風の噂だと。
だから素通りした。
 
飛行機の離陸は遅れたのに、
到着はそれほど遅れなかったため、
夕方前には実家に着いた。
 
さて、このブログも終了間近。
次回からはHDDに残った写真の整理。

アエロフロートで快適でない旅

まず最初に言っておかねばならないのは、
この航空券はどういう見方をしたって安いということ。
シンガポール航空とか安さで有名な所と比べたって、
下手したら10万円くらい安いのだ。
それと、しかしだからと言って、以下の話は
安いから悪いものなんだ、という意見を言わんとしているのでもない。
では何なのかと言うと、どちらかと言えば
単に運が悪かったというような話だ。
おそらくは最初の2時間のフライトが良すぎたのだ。
 
第2ラウンド、モスクワ-成田間、9時間の旅は
期待とともに始まった。
今回の飛行機は前のより大型、
45列で2-4-2の座席数。
最後尾の列だけ2-3-2だったっぽい。
その3の所に腰かけた。
やはり3席独占のようだ。
それだけではない。
今度の飛行機にはテレビだって付いている。
前回のより一段グレードアップした設備だ。
もうこれは最高の9時間になりそうな予感がするわけ。
 
それが狂い始めたのは、
そんな自分の元に一人の客室乗務員が来て
こんなことを言いだした時だった。
「すみませんが、ここがあなたの指定の席ですか?」。
当たり前だ。
チケットの半券を出して…
と思ったら人の答えを待たずどこかへ消えた。
仕方がないから後ろの待機室まで行って
その半券を示し、ほらこの通り、と話をする。
 
これで話は片付いたと思っていたのだが、
その10分かそこら後に別の客室乗務員が来て、
自分が座っている席は客室乗務員用のところだから、
場所を移動してほしいと言う。
もっといい席を前の方に用意しましたので、
何て言われたら、え、もしかしてビジネスクラス?
とかとも思ってしまう。
さすがにそんな甘い話はないにせよ、
確かに自分の座っていた席の頭上には
カーテンがかかるようになっていて、
ちょっと雰囲気が違っていることは分かっていたし、
そもそも頼まれたら席を移るくらい普通するだろう。
別に構いませんよ、なんて返事をしてついていく。
 
着いた先はエコノミーの一番先頭の席だった。
それの左側のところ。
ここには前に席がない。
すなわちテレビがない。
暗雲が立ち込めてきた。
(ちなみにテレビは離陸後しばらくして
ひじ掛けの下にあることを見出した。一言説明が欲しい。
下手したら最初に飲み物が来るまで気づかなかった
可能性もあるじゃないか)
 
ちょっと、え、と思ったが、
前に座席がないなら足は伸ばし放題だし、
これはこれで悪くないかとも思うことにした。
移動してきた身なので頭上のキャビネットは埋まっていて、
荷物は少し無理をしないとすべてを席に乗せられない。
どうせスペースがあるのだし、とナップザックは床に置く。
雪のせいで離陸は1時間遅れ。
本当だったらこれが最大の難点になるはずだ。
がこんなことは全く些細なことにすぎない。
離陸直前になって客室乗務員が来て
荷物は下に置くな、と何か今度は命令口調で言ってきた、
ん、要求を聞いたらもうさっきと態度が変わるのか?
まあ、でもこれも軽く流して荷物は席に上げる。
 
さあ、いよいよ離陸だ。
…と客室乗務員が一人来て、自分の前に座った。
そこはそういう席なのだった。しかも向かい合わせ。
結構気まずい。
客室乗務員は足をこっちに伸ばしてくる。
仕方がないから自分は足を脇にずらした。
もうこの時点でだいぶ快適ではない、むしろ窮屈だ。
しかしさらに、しばらくしたら今度はスカートの短さを気にし出した。
その客室乗務員は40か下手すると50歳くらいに見える。

見てねーっつーの。
なんだこの緊張の高め方は。
どうにもこうにもならないので窓の外へ顔をむける。
大雪だと書いたように、外は雲だけ、真っ白の空間。
何も見えない。つまらない。
これをどれくらい続けたのだろう。
飲み物の時間、すなわち彼女が目の前を立ち去るまでだ。
 
その頃にはもう気づいていたことだが、
そこの席というのは脱出口があるところ。
外の空気の音がおそらくだが一番聞こえる。うるさい。
常時ゴーゴーいっている。
これはどの辺に快適さを見つけたらいいものか。
(そんなところからテレビと机の発見につながった皮肉)
 
これは別に機内を移動できたわけではないので
もしかすると他の席もそうだったか知らないが、
心なしかちょっと寒い気もする。
ストレスのせいで体温が下がったのか?うーむ。
 
ここで1つ、飛行機慣れしている人は分かるかもしれないこと。
飲み物、機内食は基本前の方から支給していくため、
小さい子供を連れた親や家族は、
子供になるべく早くそれらを与えようと、
前の方に席を予約することがある。
このフライトもそうだった。
自分の斜め前に相当する最前席には
小さい子供2人を連れた夫婦が座っていた。
子供が引っ切り無しに騒いでいやがる。
いや、とはいえ、こっちはドイツのガキんちょの騒がしさで
耐性あり。これくらいでは動じない。
左に右に色々うるさい。
でも子供は仕方ないのだ。
 
機内食が相変わらず美味しかったことだけが救いだったが、
それを食べる机は小さかった。
収納式の机は座席に付いているやつより一回り小さいようだった。
そして前に何もないといざという時の支えもないので、
結構緊張しながら食べねばならなかった。
 
ちなみにテレビだが、特に面白そうでもなかったが、
それ以上に、きちんと正面に来ない。
背筋を継続的に斜め下に傾けていないといけないので、
割とすぐに見切った。
じゃあ読んでた論文の続きでも…
あ、なんか暗い。
そうか夜の照明を落とす時間か。
電気、この席にはそんなのは付けられない構造の場所だ。
機内が暗くなったらそれに従う他ないのだった。
 
あまり眠れる気もしなかったが、何もすることがない。
寝ようか。
ここでもまた問題発生。
自分の前はスペースが空いている。
ここはエコノミー最前列、すなわち向こうがビジネスクラス。
その間にはトイレがある。
それゆえトイレ待ちの人は自分の前で待つ。
要はひっきりなしに人が自分の前に来るのだ。
おちおち寝てもいられない。
他に出来ることなんていったら
前の多少大きなモニターに映し出されるデータ、
今飛行機がどこを飛んでいるかとか、速さとか、
外は何度かとか、到着までの時間とか、
そういったものをボーと見ているくらいだったが、
人が自分の真ん前に来たらそれも見えなくなる。
 
そうこうしている内に座っている事に飽き出した子供らが
ビジネスクラスの方からこっちに侵攻を開始、
目標は自分の斜め前の子供たちだ。
子供は子供の声に反応する。
それに加え、自分の隣に座っていた女性が、
振り返るガキんちょがいれば手を振って、
こっちに誘導しているのだ。
この人も暇なんだろう。
ともあれこっちに来たって、
席に遊んだりできるスペースなんてあるはずはない。
あるとすればそれは、自分の前だ。
というわけで自分の前の空間が子供たちの遊び場、
そして彼らの親たちの井戸端会議場へと化すのだった。
子供は何でも触りたがる。
脱出口が開かないもんかとこんなに思ったことはない。
 
こんなのが9時間。
 
完璧だったはずの計画はどこが悪かったか。
きっと最後尾から2列目を選んでおけば良かったのだろうか。
今こうやって書いているとそんなことはないが、
この9時間の直後はもう2度とアエロフロートには乗るもんか、
と相当本気で思ったものだった。
次に乗るのはロシア語で皮肉が言えるようになったらかな。

2012年11月17日土曜日

モスクワ・シェレメーチエヴォ国際空港

相変わらず名前が空で言えない空港だ。着いた。
時計も3時間進める。
 
本当は(推定)中心の建物が撮れたら良かったが、
着いたターミナルからはいい角度が無かったので。
ちゃんと空港名が入ってるしそれでご容赦を。
 
ここは2009年に完成したターミナルD。
トイレに寄っている内に人がいなくなってしまって、
どこに行ったらいいかよく分からなくなった。
 


窓の外は大雪だった。
どうだ、こんなにも…と、どの写真も伝わりづらい。
とにかく外は人も除雪車もフル稼働。


停泊しているのはほぼアエロフロートの飛行機。
ここが根城だったのか。
 
撮りたかったと言ったのは、向こうのあの建物。
 
さて、別に迷ったわけでもなく、素直にカウンターに聞く。
いやまあ、目があったら手招きされたから行っただけだけど。
 
パスポートコントロール、
チケットコントロール+身体&荷物検査を通る、
ここの警備は厳しかった。
上から下までボディチェック(タッチ)があったし、
上着もベルトも脱いだし、
ポケットの中身は全部出したし。
 
ターミナルの中は飲食店あり、
免税店あり、お土産屋あり、要は結構普通。
 
建物の中は暖かいので、半袖も珍しくはなかった。
ガラス一枚隔てた外とは大違いだ。
 
乗り継ぎまで5時間くらいあったので、
どこかに入りたかったのだが、
中途半端にユーロが使えるのか分からない。
多分使えるのだと思うのだが、
使えると表記してあるところと表記していないところが
あるので不安になるのだ。
使えないって言われても英語で対応できないしなあ。
その場合どうしたものかと。
 
食べ物も特に何か買おうってのが無かったし、
お土産屋で水だけ買う。
結局2ユーロだけしか使わないとか(笑。
 
ブラブラしている内に次のフライトの時間に。

2012年11月16日金曜日

アエロフロートで快適な旅

ベルリンからはモスクワ経由で成田へ。
振り込み手数料まですべて込で477ユーロ。
ベルリン-モスクワ間は最高に快適だったのに対し、
モスクワ-成田間の酷かった事と言ったら…。
二つとも書いていこう。
まずはベルリン-モスクワ間の快適だった方から。
 
チェックインを急いだのは希望の席を取るためだと書いたが、
それは最後尾の席。そんな評判を聞いていたのだ。
 
一番後ろだと、まずトイレに近い。
人が入っているかどうかも分かりやすい。
次に客室乗務員の待機場所にも近い。
何かあった時にものを頼みやすい。
そしてリクライニングが気兼ねなく行える。
まあこれはそもそもそんなに気にしなくていいことだが。
だが最大の利点は、飛行機は基本的に
前から席が埋められていくため、
後ろの方は空席が出来やすい、これに限る。
 
自分が乗った便は25列、左右3席ずつの
少々小さい飛行機だったが、
ベルリン-モスクワ間の2時間、
一番後ろの左側3席独占だった。
右側も男性が一人で3席独占していた。
 
一番後ろはうるさいという話もあったので、
自分は耳栓なんかも用意していたが
(フンボルト大図書館のロッカーの所にある
あのガチャガチャみたいなやつだ)、
使わなくても全然問題なかった。
 
頭上の荷物置き場に客室乗務員の荷物があったり、
飛行機のコップとかその類の荷物があったりで、
そこは使えなかったのだが、
手荷物なんて自分の隣にいくらでも置ける席がある。
どうせ暇つぶし用のグッズはその手荷物の中なのだ。
 
後は食べ物や飲み物の支給が前から行われていくくらいか。
これは別にどうということもないな。
よほどお腹が減っているとか喉の渇きが我慢できないとか
そういうのでもない限りは。
 
外の景色が見たいなら窓際へ、
食べ物、飲み物が来たら通路側へ、
自在に席を移動できる。
この最初の2時間は自分の選択の正解っぷりに
本当に大喜びしていた。
 
こちらが機内食。
ベルリンからモスクワまではたった2時間、
それだけしか離れていなかったのか、
とそんな事をのんびり思っていたが、
客室乗務員の人たちからすると、
その2時間で飲み物を出し、片付け、
機内食を出し、片付け、とすべて行わねばならない。
ずっとバタバタしているようで大変そうだった。
 
そう機内食。これが結構良かった。
特にパンが美味しかった。
そしてパンの美味さ云々という感想が自分の頭に浮かぶなんて
ドイツ生活が長かったんだと思ったりした。
 
ちなみにドイツからの便だというのに
ドイツ語はさっぱり理解してもらえなかった。
英語と(本当に)適当なロシア語で何とでもなる。

2012年11月15日木曜日

チェックインから搭乗まで

チェックインカウンターでスーツケースを預け、
希望の席を伝える。
言葉で十分伝わったが、一応絵も見せる。
待ち時間に描いてあったのだ。
 
自分は今回ネットでチケットを手配していた。
その時送られてきたEチケットや明細なんかを
印刷して携行していたのだが、
コンピューターの中に全部データはあるから、
そういうのは要らないとか言われた。
そんなもんなのか。
ともあれチケットをもらう。
 
そこからすぐに手荷物および身体検査のゲートが続いている。
ここは毎回引っかかるポイントだ。
いつもは身体の方でブザーだが、
今回は手荷物の方で引っかかった。
ナップザックの中を開けと言う。
引っかかったのは3点、デオドラント、水、アフターシェーブ。
デオドラントは1本までOKだった気がするが、
とにかく駄目だった。
水は100mlまで。
これは知っていたのでペットボトルの中にそれくらいを入れていたが
中身の量ではなく容器で判定されるとのこと。
容器は500mlのやつだったのでこれもアウト。
アフターシェーブは150か125mlの瓶でこれもギリアウト。
これら3点はその場で没収されてしまったのだった。
 
それが終わって搭乗までの時間、一通り中を見て回る。
意外に色々あって飽きなかった。
大体は値段が外より高めなのでお勧めではないが、
お土産とかでここで買えるものもある。
これは覚えておいて次回以降だな。
 
しかし悠長に買い物をしていられるわけでもなかった。
パソコンバッグの中で乾燥材が破裂して
中身が出ている事に気づいてしまったから。
あの小さくて丸い粒々を全部取り除く作業。
 
搭乗手続きはカウンターで向こうの人がゴソゴソやるだけだった。
自分の今のパスポートには渡航記録の欄がない。
全部ICカード部分でやっているのだろうか。
半分以上埋まっている査証欄ばかりである。
 
そしてちょっと待った後でモスクワ行きの便に乗り込んだ。
 


ベルリン最後の写真。
離陸直後はデジカメ含む全電子機器の使用を禁じられたため、
上空からの写真は残念ながら撮れず。
 
ラスト熊。

シェーネフェルト空港へ

ゴミや一応スーツケースに詰めては来たが
要らないものを選り分けていたら、
結局またゴミ袋一つ分になってしまった。
逆に言えばこれだけ荷物が軽くなったということか。
一度捨てに外に出ようと思ったら
鍵がかからないことに気付いたのは前述の通り。
 
ゆっくり身支度を整え、6時にチェックアウト。
駅の幾つかのゴミ箱にゴミを小分けにして捨てる。
 
ポストに届け先変更届を投函。
実はポストが見つからなくて
一度空港側へ渡ったのを戻ったりもした。
 
そしていよいよシェーネフェルト空港へ。
 
途中に便名、時間、行き先とどのターミナル発かが出ている。
そこへ行けばいいだけなので非常に分かりやすい。
自分は正面のターミナルAだった。

 
10時の便なのに何故6時なんかに来ているのかというと、
人の情報でチェックインで時間がかかるから
ギリギリに行くと大変だという話を聞いていたのと、
自分の希望の席を確保したいから。
だが掲示板を見ていると、
シェーネフェルトではどうやらチェックインは離陸2時間前かららしい。
取り敢えず読み終わったら捨てられる紙類は結構持っていたので、
それを読んでは千切って時間を潰す。
荷物があるので外を周ったりとかは考えなかった。
イレギュラーでチェックインが早く始ったりするかも、とかも考えて。
パッと見だが、そんなに何かあったわけでもなかろう。

チェックインカウンターの上に空きベンチが多数見える。
エレベーターで上に行ってみたら、
ベンチは空いていたわけではなく、
みんなそこで寝ているのだった。
そんなことをしている内に2時間はすぐ過ぎた。
 
一応空港の写真だが、まだ光が足りなくて残念な画像。
参考までに。
結局下見に来る時間も取れなかったもので。
デジカメが自動で光を補正しているだけで、
実際にはまだ真っ暗な時間。
「Let it be」の弾き語りが聞こえる。

郵便物の届け先変更届

少しだけ最近の習慣から遅れ、夜10時半に就寝。
目覚ましは翌朝4時半にセットしたものの、
結局1時半に起きて、これでは早過ぎるからと2度寝、
最終的に起床は2時半だった。
 
幸いにして丁度お腹も空いたことだし、
と持って来た食べ物を食べる。
中には既に痛んでいたものもあった。
普段なら大丈夫だろう、と思うレベルだが、
この日は慎重に捨てることを選択。
食べつつホテルのアンケートに記入したりしていた。
 
その後郵便物の届け先変更届を書く。
 

写真の様になっていて、
郵便局の窓口に行けば買うことが出来る。
15ユーロくらいだったはず。
中には必要事項を書く紙と書き方の説明、封筒が入っており、
説明に沿って必要事項を記入していくだけ。
それを封筒に入れて、どこでもいいのでポストに投函すればよい。
それで半年間、郵便物が自分の新住所まで転送されてくるはず。

2012年11月13日火曜日

InterCityHotel

自分が前泊したのはインターシティホテルという
シェーネフェルト空港から200mの所にあるホテル。
着いたのが20時半、出たのが翌6時で
外観の写真は撮れなかったので、今回は珍しく内装を。
 
とにかく空港に近いのが今回の場合高ポイントだった。
一泊69ユーロだったが、本来クレカがあれば、
それを使って事前予約が出来、
そうすれば10ユーロほど安くなったはずだった。
チェックイン、チェックアウトともレセプションの応対が友好的。
非常に好感が持てた。
朝食は別料金。自分は持ち込んだ食べ物が
むしろ食べきれないほどだったので朝食は頼まなかった。
が、階下のレストランが朝食の場なのだとすれば、
結構いいものが食べられたような。あくまで印象。
部屋ではテレビも見れる。
見なかったが、NHKなんかも入ったようだ。
空調完備。裸でも過ごせるくらい快適だった。
 
まあ必ずしも良い所ばかりではない。
例えば途中の歩道は舗装が悪く、荷物が転がし辛かった。
ほんの少しの距離だけど。
シャワーなのだが、下水口から少し変な臭いがした。
これも割と換気次第だけど。
ドライヤーはあるが歯ブラシはない。
持って来ておいて正解だった。
あとこれは自分の部屋だけなのか、
そもそもそういう仕組みなのか、
あるいは自分が仕組みを理解できなかったからなのか、
ともかく一向に部屋の鍵がかからなかった。
朝方、チェックアウト前に一度ゴミを捨てに行きたかったが、
鍵がどうしてもかからず断念。
で、その時に気付いたのが、
実は外から誰でも自分の部屋に入ることが出来たのだという事実。
自分がカードロックの使い方を良く分かっていないせいの可能性大だが。
ここはカードが無いとエレベーターも使えず、
フロアに上がってこれないので、
何かあったとしてもそんなに困ることはないだろうが、
不用心であることは不用心。
何泊か泊まるのだったらすぐレセプションに掛け合ったろう。
あと使うことはなかったので無視したが、
セーフティーボックスも電源が入らなかったなあ。
ちょっと問題のある部屋だったっぽい(笑。
 
それ以外に不満はない。
シェーネフェルト空港のチェックインが原則2時間前ということを
知っていたら、もっとゆっくり出来たことだったろう。

帰国前日(10月30日)午後

正午くらいからは洗濯に行く。
一回1.5袋強が目安のところ、3袋くらい洗濯物が溜まっていた。
仕様がないので1.5袋分は捨てることにする。
どうせもうだいぶ着た服とかそんなのばかりだったので。
 
洗濯が出来上がる40分を使ってスーパーへ。
母親が直前に簡単なお菓子を所望していたので、
それをいくつか買いに行ったのだ。
丁度ポイントで7ユーロ分溜まっていたスーパーがあったので、
それを使い切るためにも。
コインランドリーに戻り、珍しく乾燥機を使う。
この日は雨だったし、自然乾燥させている時間もなかった。
面白いことに15分かけたら全然効き目がなかったが、
もう15分かけたらほぼ完璧に乾いていた。
 
このスーパーでのお土産をもっていよいよ荷物の全体量が決まった。
が、どう考えてももう一便荷物を送らねばならないようだ。
そんなわけで郵便局に段ボールを買いに行く。
そのついでに銀行の口座を解約しにも行くが、
契約証書、カードと揃っていながら、
身分証(パスポート)が必要なのだと言われ取りに行くことに。
こうしてもう一度銀行に行って口座解約。
預金額を現金で受け取る。
この後荷物を送って、ホテル代を払い、
場合によってはかかる飛行機の荷物重量超過分の料金、プラスαを
考えても我ながら計画的な残金だった。
帰りがけに中古電子機器屋(っぽいが実は割と何でも屋)に寄り、
プリンターを引き取ってもらえるか聞いておく。
 
帰って二通程手紙の印刷。
一通はモデム返送に添えるもの、
もう一通は電気のメーターの値を電力会社に知らせるためのもの。
最後のメールチェックも終えたら、
いよいよモデムも接続からはずして荷造り。
プリンターとそれやモデムを置いていた台を
さっきの店に持って行って引き取ってもらった。
 
全ての荷物を徐々に玄関の間の方へ移動させ、
部屋に掃除機をかける。
この時点で電気メーターが最後どのくらいの値になるかは
大体分かるようになるので、それを記入して手紙の封を閉じる。
こうしてお土産、モデム、電力会社への手紙を郵便局へ。
送り方が全部違う。
お土産は国際小包、モデムは着払い、手紙は普通郵便。
そんな事に気を取られてか、住所変更届けを買うのを忘れてしまった。
これは夕方以降またこの付近を通った時に買った(詳しくは後述)。
 
パソコンを袋に入れようとして気づいたが、
このケースは日本から持ってきたもので、
僕はドイツでパソコンを買い替えたのだが、
その時どうやらワンサイズ大きいものにしていたらしい。
そのケースに入らない事が分かり、急遽カールシュタットへ。
 
そんなこんなしながら荷造りを終え、
玄関の空間も掃除機をかけ、
机、椅子、ランプはZu Verschenkenで外へ。
掃除機と洗濯物干しは同じくZu Verschenkenだがアパートの廊下へ。
掃除機は紙袋もあって、雨に濡れては難だろうから。
貰ってくれる人はいたか分からないけれど。
 
もう何となく想像は着くと思うけど、
この時点で16時なんてとっくに過ぎていた。
荷物運びに使っていた台車と踏み台のような椅子を持って
このブログですっかりレギュラー化しているアラブ人の所へ。
彼とも最後の挨拶を交わした。
前日大量に食べ物・飲み物を貰っていたので、
今日は頼まず貰わずで。
家に戻ってみるともうランプは誰かが持ち去った後だった。
 
最終的な荷物はスーツケース、パソコン、
食べ物や種々の道具を入れた袋の3つとなった。
最後の点検をし、電気を消し、部屋を出て鍵をかける。
鍵はポストに投函する。そして外へ。
 
結局大家さんに直接会って鍵を渡す時間は無かった。
シェーネフェルト、今日泊まるホテルへ向かった。
 




写真は最後の荷物を外に出す少し前の部屋の様子。
空っぽだ。

2012年11月12日月曜日

帰国前日(10月30日)午前

いよいよ迎えた帰国前日。

7年半暮したこの部屋に別れを告げる時が迫っていた。
 
この日は朝3時起き。
これは別に早起きしたわけではなく、
飛行機に合わせた生活調整の結果であって、
自然にこの時間に起きた。つまりはいつも通り。
 
軽く朝食を取ってから、
アパートの住民が起きる前にやらねばならないことをやる。
マットレスの処理だ。
リサイクル場の話をするとドイツ人(アラブ人含む)は皆、
そんなことわざわざやんないで
普通にゴミの横に置いときゃいいんだよ、って話をする。
本当はいけないような気もするが、
今回ばかりはそうさせてもらうことにした。
丁度階下には別のマットやベッドが立てかけてあって、
そこに数日前からさらに小さな机が、
そして前日には食器洗い機が加わっていた。
そこに忍ばせておいた。
 
そして街が暗がりの中にある内にやっておきたいことも。
「Zu Verschenken (=差し上げます)」と書いた紙を張って
通りの邪魔にならない所に、要らなくなった、いや、
誰かが必要としていそうなものを出すこと。
まずは中が片付いた本棚から。
これはちょっと凄かった。
街が明るくなった時には既にその場から消えていたのだから。
もう誰かが見つけて持っていったのだ。
これは俄然Zu Verschenkenをやる気が出てきた。
だがゴミの整理をしている内に街が白んできた。
このZu Verschenken方式も正攻法である自信がないので、
ここでひとまず打ち切る。
 
ゴミの整理。
すなわちもはや捨てられるものは明白なので、
全てゴミ袋に入れていく。
「一応」なんて思って取っておいたものは結構ある。
そういうものはどんどん捨てていく。
この日合計では25袋くらいゴミを出したと思う。
物もそうだが、掃除の結果出るゴミもある。
別に大家さんによるチェックはもう終わっていて、
最終日だからといって何かがあるわけではない。
だから掃除もしなくてもいいのかもしれない。
が、そこは立つ(発つ?)鳥跡を濁さず、か。
どの道後で清掃業者が来るんだろうが、だとしても。
 
朝早い内はこっそりと、いや、静かに、
日が明けてからは堂々とゴミをコンテナに入れに行く。
そうでないと玄関から外に出られなくなるんで。
コンテナには意外に物が入る。
週明けとか溢れていたあれは何だったんだ。
 
基本は一部屋片付け→掃除。
キッチン→ベランダ→バス・トイレ→部屋→玄関の順。
あった物は捨てるか移すか。
キッチンは朝食さえ済ませてしまえばもう使うこともないので
午前中の早い段階で片付いた。
バス・トイレの掃除はタイミングが難しい。
着替えて外に出ようとすればその前にシャワーだが、
掃除するとまたシャワーを浴びる必要が出るかもしれない。
ベランダの掃き掃除を終え、カーテンを取り外し、
付けていた網戸をはがし、トイレや洗面台掃除まで終えた後でシャワー。
その後バス用品やシャワーカーテン等を処分、
そして風呂場の掃除。
 
そんなところまでが午前中。続く。

帰国前日のための基礎知識

いよいよ帰国前日となったが、

ここで予備知識の確認。
 
なぜ前日だというのにそんなに忙しかったのか。
それは前日にならないと片付かないものが存在するから。
 
例えばマットレス。
ベッドはさすがにこの日までに処分を終えているにしても、
床に寝るわけにもいかない。
そして布団なしもどうなんだってことになるから、
少なくとも掛け布団、枕なんかもまだ要る。
 
外界との接触手段がネットだけなら
最後の日までモデム等が手元に必要だし、
何かと書面による社会であるドイツでは、
何かあった時のため、プリンターもギリギリまで手放したくない。
何かする机も必要なら椅子だって必要だろう。
 
食べるために最低限のものは要るし、
バス・トイレの道具も要る。
 
最後の掃除(これはしなくても良さそうだが)をするための
道具も一式残しておかねばなるまい。
 
正直言うと、色々捨ててきたにも関わらず、
帰国前日だというのに起きたらちっとも部屋が片付いた印象がなかった。
これを一日で全て撤去しなければならない。
 
タイムリミットはというと、
大家さんは18時から20時を何かの時のための時間に取ってあるようだ。
この時間彼女は家に居る。
その間に鍵を渡しに行きたい。
大家さんの所からシェーネフェルト空港までバスですぐだとしても
荷物を沢山持って歩くのはあまり得策ではない。
一度ホテルにチェックインして荷物を置いてからになるだろう。
となると16時くらいには家を出たい。
そう、意外に時間はないのだ。
 
そんなわけで、次回から前日の話。

10月29日(帰国前々日)後編

やっと自分用のネット回線も手に入れた。
これからは割と自由にこのブログも更新できるだろう。
あと数回だが。
 
前回、副査の教授に挨拶を終えたところだった。
そこから急いで自宅まで戻り、この日3度目のリサイクル場へ。
解体したベッドの残りを運びに、である。
 
この3度目の運搬により、
僕は当面木製のベッドはもういいや、と思うようになった。
その顛末は下記のようなものだ。
 
まずベッドを構成する内の長い側面の木、2本。長い、重い。
これはビニールテープでグルグル巻いてまとめた。
これが脇に抱えるには細く、手で掴むには重い。
肩に乗せるにもやや長い。
場所場所でこの3通りの運び方をしたが、どうも安定しない。
 
これと同時にマットレスの下に敷いていた枕木も運んでいた。
こちらは両サイドから買い物袋をかぶせて、
中央で取っ手を下は結んで、上は持つ形にして、
スポーツバッグみたいな状態にした。
 
この二つを疲れたら持ち手を変えつつ、リサイクル場まで運んだ。
これまで色々運んできたので無駄に自信だけは付いていたせいか、
予想していたより時間がかかって、
着いたのはリサイクル場が閉まる少し前だった。
途中取っ手は切れたりして、運ぶのに支障をきたしたせいもあった。
おかげで片方の手は限界だったので、
リサイクル場までの最後の1ブロックのところで、
一つの荷物は一時的にそこに置かせてもらって、
そこから一個ずつ運ぶことにしたのだった。
一つ目を運び終え、走ってそこまで戻って、
もう一つの荷物を持って再びリサイクル場へ。
…と、お?閉まってねーか?
閉まっていた。
 
僕は自分の腕時計を5分以上進めている。
本当は5分進めたいが正確な時間は分からない。
だから5分「以上」進めている。
時計は5時4分を指していた。
だが正確ではない以上、自分の時計が間違っている可能性もある。
しかし体力的にも気力的にも、
ここからまた持ち帰るなんてことは思いたくもなかった。
大体なんでこんなに時間キッチリなんだ。
自分は時計が正しい事を信じることにし、
木は門の横に置いて帰ることにしたのだった。
 
こうして家まで戻った後、
今度は様々なものの処分を開始した。
引き取ってくれる約束をしたアラビア人の元へそれらを運ぶ。
ゴミではなく一応使えるものばかりだが、
ゴミのようなものでもあって、正直悪い気もしたのだが、
2、3度運んだお礼に色々な食糧を貰ってしまった。
クスクスのサラダ2パック、ジュース2本、オレンジ1個。
(さらに1度運ぶ毎にシナモンティーを出してくれていた。計小3、大1杯。)
その上お菓子までくれると言ったがそれは固辞した。
今日はもう夜、帰っても寝るだけ。
今日明日で食べ切れるかという量のクスクスサラダだ。
おまけに家にも何やかんやあるわけで。
 
その荷物運びの往復のついでに郵便局に寄って小さい段ボールを買う。
これは明日モデムを入れてプロバイダーに返送するためだ。
 
今日はマットレスの上で寝る。
床の上で寝るのは久しぶりだったが、
寝心地はそんなに変わらなかった。
高さの違いが気になるかと思ったが、
自分は布団に入ると意外に割とずっと目を閉じているようだ。
わざわざ目を開けて高さの違いを実感した。
 
と、こんな風に長い一日だった。
そして、ゆっくりしたいなんて書いた翌、帰国前日、
この日もまた忙しい一日になるのだった。
 
続く。

2012年11月6日火曜日

10月29日(帰国前々日)中編

さて、この記事を書いている現在、僕は日本にいる。
そう帰国してきたのだ。
今は借りたパソコンの借りた回線で記事の更新をしている。
OSは1バージョン新しいのにブラウザは1つ古い、
そんな環境から実験的に更新。
 
前回の記事の続きを書こうと思うが、
まずが何があったか…。
この前々日、前日、そしてもちろん当日、
と色々なことが重なりすぎて、
その忙しさを伝えるべくすべてを書きたい、
だがすべてをもう覚えていられないくらい忙しかったのだ。
書いた後で書き忘れに気づくだろう、
そんなことが書く前から分かる、そんな気持ちだ。
 
話は帰国前々日、その日2度目のリサイクル場から
帰ってきたところだった。
帰ってきた僕はシャワーを浴び、着替え、
副査の教授へ挨拶に向かった。
準備1時間、電車45分、といったところ。
副査の教授のいつもの部屋へ着いたのは3時15分くらい。
…が、部屋に明かりがついていないしドアも閉まっている。
居ないので上階にいる秘書の人に聞いてみようと思った。
この人は教授の秘書ではないが、
同じ建物内(そして割とこじんまりしている)、
何か知っている可能性は高いだろう。
だがここも呼び鈴の名前がちょっと変化していて2つあった。
何だ?どっちだ?とか思っていたら、中から人が出てきた。
論文審査委員の内の一人だった教授だった。
向こうはこっちのことを覚えていてくれて、
予期せず挨拶だけだがした。
その後秘書の人に聞いたら、
副査の教授は今学期別の部屋で活動中とのこと。
なのでそこへ向かい、挨拶をする。
例によってワイン持参で。
 
僕はワインを持って行っただけで、
別にこれが習慣とかそういうわけではないので誤解なきよう。
主査の教授のワイン好きはちょっと知られていて、
副査の教授はそもそも飲む人かも分からないが、
まあ自分で飲めなくても誰かにあげれば…とか。
ワインが楽なのは自分がお世話になった年数を表せること。
それぞれの教授に自分がお世話になり始めた年の
ワインを渡したのだった。
多分向こうは気づかなかったとは思うけれど。
 
副査の教授ともちょっと喋って、
我ながらいい挨拶ができた。
これで挨拶回りは終了。
 
午後3時半。
まだリサイクル場(午後5時まで)にもう一度行く予定があった。
だからこれが自由大の見納めとなったが、
そんなに感傷にもひたってはいられない。
再び家へ。
 
続く