2011年4月30日土曜日

BVG

以前散々言うべき文句は言ったBVGこと
ベルリン市交通局の根城。

今はヤノヴィッツブリュッケという
アレクサンダープラッツよりもう一駅行ったところにある。
前のカスタマーセンターはU9のシュピッヒャー・シュトラーセか
そこらの街中にあったはずだが、
無実の人々からむしり取ったお金で
とうとうこんな大きなビルを建ててしまった。
そういえばSバーンの補償金も今回は貰えなかったなあ。
独占状態による企業体質の悪化は
何も日本だけに限った話じゃないな。

サウジアラビア大使館

‥だったはず。
表札をフレームに入れていたんで油断した。
日本大使館の近くにある外壁が特徴的な建物。

2011年4月29日金曜日

モアビットにある教会



名称不明、あるいは忘却。

この前写真を上げたE-Centerの近く。
通りかかったついでに。

2011年4月28日木曜日

アイランをめぐりすぎな話

復活祭で大量に仕入れた卵をどう消費するか、
というのがこの時期の一般家庭における課題となる。

したがってテレビでも色々な番組が
種々の卵料理の作り方を取り上げる。
自分は「ガリレオ」というこっちではちょっと有名な
情報番組(?)をこの前たまたま見ていた。
各国の卵料理の作り方をやっていた。
ドイツの伝統的な卵料理、
それは卵inマスタードソース。
‥ん?ただ卵にマスタードかけただけじゃねーか。
いやいや、きちんと作るともう少し複雑ではあった。
でも基本はやっぱマスタードかけただけなんだなあ、これが。
ドイツの伝統料理って結構そんな感じで困る。
何ていうか、普通、なんだよね。
あ、え、これが伝統料理だったんですか、みたいな。
そんなわけで、ドイツの料理って何があるの、
という質問に回答するのは非常に困る。
何年もこっちにいるが、いまいちこれってのが
未だに挙げられない。
Wikiとかで「ドイツ料理」って調べてみてほしい。
多分多くは家庭で一度は作ったことがあるもの
ばかりなのではなかろうか。
そんなわけでドイツに長いこと住んでいながら、
イタリア料理名とかトルコ料理名の知識だけが増えていく。

前置きは長かったが、アイラン↓もその1つ。
これはトルコの飲み物でヨーグルトに水と塩を加えたもの。
ケバプ屋をはじめトルコ料理屋やトルコ系のスーパーに
行けば必ず置いてあるものなので
前々から気にはなっていたが、
ずっとただの水だと思っていたのでスルーしていた。
この前スーパーで見かけたとき
「ヨーグルト」の文字が見えたので
試しに買ってみた、という流れ。
何て言ったらいいかなあ、これは自分にはダメだった。
ヨーグルト自体酸味があるわけで、
なのに塩を加えてしょっぱくしてある。
プレーンヨーグルトに砂糖と間違えて塩を入れた味。
元々は塩を入れて保存が効くようにしたものらしい。
その知恵はリスペクトするとしても。
自分の家に砂糖がなくてこんなに困ったことはなかった。
最終的にはホットチョコレートの粉を混ぜて飲んだ。
いや、むしろ呑んだ。
初めて飲むのがお店ではなく本当によかったよ。

2011年4月27日水曜日

E-Center

EはEdeka/エーデーカーの略。
自分が住んでいるところよりちょっとツォーよりの
モアビットという地区にちょっと前に出来た。
駅的にはU9のビルケン・シュトラーセというところ。

自宅からは地下鉄3駅。微妙に遠い。
わざわざここに行かなくても
近くにも同系列のスーパーがあるもので。
ここに行ったのはまだ冬だった頃だが、
その一度しか行ったことがない。
ビルケン・シュトラーセは自分にとって
典型的な通過駅の1つ。

内部の様子。
こうやって見るとちょっと派手っぽいが、
実際は結構暗い。
平日だったからかもしれないがガラガラだった。

その日の目的は↑。
ベルリーナー。
ここには5、6個種類があったと思う。
その内の残っていた3種類から。
1つ60か70セントだったはず。

2011年4月26日火曜日

しばらく書いていなかったけれど

ちょろっとサッカーの話題。

昨日行われた試合に勝ち、ヘルタ・ベルリンは
来季のブンデスリーガ1部昇格を決めた。
おめでとう。
本当に一年で戻ってこれた。
一度2部に転落すると、選手は基本的に別のチームへ
移ってしまうため、1年で戻ってくるというのは
なかなか至難の業。
ヘルタの場合そうした選手の流出を
極力避けることが出来た、
というのも大きかったようだが、それでも。

あとは細貝のいるアウクスブルクが
昇格してくれそうなので言うことなしかな。

-------
ブンデスリーガ1部では、
首位ドルトムントと2位レバークーゼンの勝ち点差が
あれよあれよといつの間にか5まで縮まっている。
ちょっと前にも5まで縮まったことがあったが、
その後レバークーゼンはバイエルンに大敗し、
そこで再び差は開いたので、これで決まったかと思ったら。

競馬ではないけれど、
去年スタートダッシュで先行し、
後半勢いを失ったのが、そのレバークーゼン。
今年はその反省からなのだろう、
後半にきっちり調子を合わせてきた感がある。
ドルトムントは去年のレバークーゼンより
前半でずっと先行していたので、
それが果たして逃げ切れるに十分だったかどうか。
2位以下でけん制し合っている内に
先行馬が逃げ切れるくらいまで差がついてしまい、
結局追いつけないってパターンも割とよくある話。
ただ、今回の場合、3位争いは苛烈だが、
それをやっているバイエルンが早々に
優勝戦線から離脱したため、
レバークーゼンは後ろを気にする必要は
もうだいぶ前からなくなっている。
だからちょっと怖いといえば怖い存在。
ドルトムントは最下位のチームに負けている場合
じゃないんだが、ほんと。

復活祭

この週末・週始は復活祭だった。
クリスマスは日本でも何やかんやあるから
何となく馴染みはあるんだろうと思うけれど、
復活祭の感じだけはちっともなさそう。
キリスト教国、だからヨーロッパや北米だけでなく、
中南米からオーストラリアまで
まあ多分だけど、祝日になっているわけで、
それは一大行事ではあるわけ。
何だろうね、日本への影響?
Youtubeとか大容量のファイルを上げているサイトが
負荷かかりまくって遅くなるとか、
下手するとサーバーのダウンを起こすとかすると、
多少は影響するのかな?
そのくらいだろう。
 
今年の復活祭は4月も終わりに差し掛かったこの時期。
移動祝日なのだが、今年は遅い方。
ベルリンは、というと、
今年の復活祭では色々店が開いていた。
今度こそは祝日に開いている店探し(この前の
クリスマスの時やろうと言っていた話)をしようと
日曜に外に出てみたら、
近所の店はことごとく開いていて、
どうもわざわざ遠くまで行くまでもないとわかった。
もちろん日曜に開いているようなところしか開いていないのは
そうなのだが、普段の日曜の光景と同じだった。
結果的には食料の買いだめは効果をさして発揮せずだった。
 
復活祭の象徴、卵。
本当は自分で色を塗るんだけど、
塗った所で自分一人で何をするでもないし。
↑のようにあらかじめ色が塗られた卵も売っている。
パックによって色あわせが異なる。
値段はそこまで変わらない。
中身がちょっと普通のとは異なっていて、ゆで卵。
ゆで卵を食べるのは久しぶりだったので、
そういえば殻をむくのは結構面倒なんだったと
思い出したくらいしか感想はなかったけれど。

2011年4月23日土曜日

バイヤー製薬の建物、追加分



ライニケンドルファー・シュトラーセというU6の駅がある。
そこまではコインランドリーがあるので度々行く。
そのちょっと先にフリードリッヒ・シュトラーセがある。
その間の地域には中々用事はない。
今回その珍しい用事があって、
一番上の写真の渡り廊下をくぐった先へ。

用事自体は大したことではなく、
電気料金の差額が出たから、
受け取るための振込み口座を伝えに。
手紙とか送れば一番手っ取り早いんだけど、
4ユーロにも満たない額を受け取るのに
50セントの手紙を送れるかって話。
なので直に口座情報を伝えに行った。
これまでは翌月の料金から
差し引いてくれたんだけどなあ。
ちょっと面倒になったようで。

IE9でヤフーメールを書けるようになった

IE9にしたらブロガーの記事が書けなくなった、
との話を前にしたが、
今度はヤフージャパンのメールでメールが打てなくなった。
今回の場合は前とは違って、打てると言えば打てる、
ただ日本語入力が出来ないだけ。

ググッてみても同様の症状は出ていないようなので、
IE9のドイツ語版だからなのかも、とか思った。
今色々なブラウザがあるもので、
こういうのが質問サイトに上がるたびに、
別ブラウザか、前バージョンを(再)インストールするよう
多くの場合言われているようだった。
わざわざ再インストールで前のバージョンに戻すってものなあ、
と、何か設定をいじって解決できる方法は
無いものかとさらにちょっと探してみた。
インターネットオプションでちょっといじる、
コントロールパネルのテキスト入力関連(だったかな)をいじる、
といった方法もあるようだったが、
何の変更になるのかちょっと分からない話で、
別のところに変な影響が出てもなあ、と。

そうしたら何か面白いことを書いている人がいた。
それはIEの昔のバージョンでそういうことがあった人
からの質問への回答だったのだが、
一度アドレス部分にカーソルを合わせてから、
もう一度テキスト入力欄にカーソルを戻せば
日本語入力が出来るようになる、というもの。
これを試してみたら、見事日本語入力が出来た。
一々一回アドレス欄をクリックしなければいけないが、
それで解決なら、それでよしとしようかな、と。
Chromeだったらヤフーメールの日本語入力も問題ないが、
文字が結構小さめに出てくる。

どうせ最近はメールとこのブログの更新くらいしか
していないわけで、何かもうChromeに移行する
べきかとも思うが、IEに入っているお気に入りが
Chromeに自動で移行されてはいないようなので、
やはり不便といえば不便。
結局IEを使い続けるのであった。

2011年4月21日木曜日

復活祭っぽいもの



今年これまでに買った復活祭関連のお菓子。
まず定番の卵型チョコレート各種。

これもチョコレート。
本当はウサギの形が定番なんだけれど、
最近うちの妹が犬を飼い始めて、
その写真をよく送ってくるので、
こっちも対抗した(笑。

前々から書いてきたように、
ここのところ暑いし、
週末も(さらに)暑いとのことで、
こうしたチョコレートが融解してしまう、
とニュースでは話題にしていた。

そうか、復活祭ってことは
そろそろ食料の買い溜めを始めよう。

あちい

今日のベルリンはとても暑くなって、
人々が半袖半ズボン化していた。
間違ってコートとか着て家を出た自分は
結構おかしな格好だった。

講義室では前に座った女性が
トーストを食ってはとジュースを飲む、
食べ終わったら食べ終わったで
隣と延々おしゃべりという最悪の環境だった。
ベルリンの大学では授業中飲食しても
基本的に何も言われないので、
たまーにこういう人がいる。

大学の試験担当局から手紙が届き、
論文審査委員の「提案」が通ったとの通知が来た。
これで審査委員が学部お墨付きで認定された。

ちなみに↓は論文、ダンボール入り。
ここで公開してもいいんだけど、どうしようかな。
別に自分の名前とかが公になっても
特に困ることはないし、書いてもいないはずだけれど、
今まで特に名乗ったりもしていないからなあ。
特に有名人でもない人間はこういうとき困るなw。
やっぱりヘーゲル研究とかのテーマで
哲学研究用のブログを新設しようか。
ただそれはそれですぐネタ切れしそうなブログになりそうだ。
というわけで、この写真が精一杯か。

2011年4月20日水曜日

その他の近況

その他のことどもについて。

前に言ったチキンケバプ屋、
絶賛したのに値上げしてた(笑。
2.5ユーロになっただけだから、
チキンケバプの値段としては許容範囲内ではあれど。

学食には結構ちょいちょい新しいものが
人目につかずひっそりといつの間にか
導入されていたりすることがある。
この前の冬にはチャイ・ラテ。
これは生姜味が強くてちょっとクセがあった。
春になったらカフェの方にフローズン・カプチーノ
なるものが出現した。
カプチーノのシェイクというか
飲むシャーベットみたいなやつ。
日曜、大学構内は暑かったので買ってみた。
さすがにちょっと早かったかな、時期的に。
おいしかったけれどね。

ちなみに今年は順調に春が来たベルリン。
1月の段階から雲も薄かったし、
2月でもう晴れ間が出ていたし、
3月はもう春の陽気だった。
最高気温13度くらいになると
半そでが街中に出現し出す。
今はそれよりもうちょっと暖かいので、
街は夏服と冬服が入り乱れている。
3月に入ると街角のアイス屋は店開きを始めるが、
今年は売れ行きがいつもより良さそう。
週末から復活祭だが、25度まで上がるって話。

新しい靴を買った。記憶にないほどの久しぶりで。
ベルリンは靴の値段は高いとは常々思うところ。
ダイヒマンというディスカウント(?)っぽいところで
ずっとこのかた買っているが、
どうも値段が高いし、バリエーションも少ない。
女性ものだとそんなことはないような見た感じの印象だが、
男性ものは本当に困ったもの。
ベルリン人は猫も杓子もジーンズを履く。
それだと幅が広がるのかもしれないが、
自分は履かない派なので、ますます窮地(笑)だ。

その後

その後5人の審査委員の人たちにメール。
提出した報告と、論文を渡す期日の取り決め。
秘書を介さないといけない人もいるので、
計7人か8人にメールを送った。
この記事を書いている水曜朝の段階で
主査の教授を含めた3/5人に渡し終えたところ。
渡せていない教授の中には副査の人も含まれていて、
メールが来ないのが気になる。
もう一人の教授は先週まで外遊。
今週はもうスケジュールいっぱいで、
会うのは来週以降になる見込み。
全員に渡し終えるまでは何となく落ち着かないな(笑。

論文提出の詳細

詳細って言っても、ここは驚くほど特筆すべきことがない。

試験担当局へ行って、
1.論文
2.審査委員の提案書
3.学生証1枚
を提出するだけ。

1.論文は主査・副査の教授に自分で渡す場合は1冊、
試験担当局から渡してもらう場合は3冊提出する。
自分の場合は前者なので1冊提出した。
一応向こうの人が、形式的な必要条件が
きちんと記載されているか確認するが、
博士論文はそうした形式的な決まり事が非常に少ない。
表紙、2枚目、最後のページだけ確認すれば終わり。

2.集めた5人の論文審査委員を
「提案」という形で書面にして提出。
以下5人の教授及び講師の人たちを
お互い事前の取り決めの下に提案します、
とかなんとか書いて、それだけ。
昨日の「準備」には書き忘れていたけれど、
これも前もって用意しておいてあった。

3.今学期の学生証1枚。特筆することなし。
自由大の学生証は、ゼメスターチケットが付いたやつ以外に
どこかへ提出する際用のものがいくつか余分に来る。 
その内の1枚を出せばいいだけ。

自分で教授に論文を手渡しする場合には、
本当に後できちんと渡すという確言(?)誓約(?)を
その場で書かせられ、署名。

あと口頭試問の日程の決まり方について簡単な説明を受ける。
日程が決まったら、遅くともその3週間前までに
試験担当局に教授がその告示をしなければならない。
自分は教授にそれを忘れないように実行させる必要がある、
とそんな話。
ここら辺の事務手続きは
教授の方はもうルーチンだろうが、一応。

これで事務的な手続きは完了。

2011年4月19日火曜日

コピーショップにて、印刷から製本まで

ここのコピーショップに来るのはここ1~2ヶ月の間で
かれこれもう4回目くらいなためか、
向こうもこっちの顔および用件を知っていて、
条件の最終確認だけでスタート。
条件というのは綴じこみ方
(リング、クリアファイル、本っぽいもの厚手、薄手)、
表紙を透明にするか、透明にするなら透明度を選択。
そして裏表紙の紙の色。
そんなとこかな。
あともちろん冊数。

まず向こうが1冊サンプルを作ってくれる。
それの中身の確認から。
これのために自宅から印刷した原稿を持ってきた。
それと比較。
朝早かったせいか、確認している自分の周りで
掃除を始める向こうの人。
まあ、いいけど。こういうところはいかにもドイツ人だよね。
確認すべき点はそれほど多くはない。
使った特殊記号・文字・フォントがきちんと出力されているか、
これは記号を大体網羅した一覧表を巻末に付けてあったので
確認は非常に楽だった。
本文の確認はズレがなければOKなので、
2ページおきくらいに適当(ランダムという意味で)に
確認するのが効率よいというものだろう。
20分くらいで確認作業終了。
自分が印刷していったものより、
紙質もインクの質もさすがにはるかに上で、
本当の本みたいにきれいな出来栄え。

そこから印刷と製本の本番スタート。
とはいっても自分ですることは全く無い。
かかる金額(約170ユーロだった)と所要時間(1時間)
だけ聞いて図書館へ時間を潰しに行く。

一時間後受け取りに行く。
ECカードで支払い‥と、
普段のATMのパネルと違っていたせいか
暗証番号を間違える。
というか、ど忘れして焦る。
さらにもう一回間違え、ますます焦る。
3度間違えるとカードが使えなくなると言われ、
現金を取ってくると言って一度外へ出る。
現金を取ってくるにしても同じカードを使わねばならないので、
条件は変わらないはずなのだけれど、
最寄のATMまでちょっと距離があるので、
それまでに思い出そう、と考えた。
考えた‥けど、やっぱ思い出せず焦る焦る(笑。
結局いつものATMのパネルを見て、
操作を頭の中で反復したときやっと思い出した。
体で覚えているだけの記憶って恐いね。

ともあれ思い出すは思い出したので、
コピーショップに戻って、事情を話す。
「第二ラウンド開始だな」とか冗談を言われつつ、
向こうの人がいい人たちでこっちとしては内心ホッとする。
暗証番号が通っただけで半ば拍手という
大騒ぎを演出することになった。
 
向こうの人が15冊をまとめてダンボールに入れてくれた。
ダンボール箱は持っていった買い物袋には入りきらなかったが、
そんなこともあろうかとビニールテープも用意していた。
買い物袋を開いて端をビニールテープで止め軽く防水。
幸いそんなに雨は降っていなかった。
ただ結構重かった。
 
そして時間は10時15分。
 
コピーショップの隣の建物の中にある
試験担当局へと向かった。
 
続く。

木曜日、多角的準備

コピーショップ(自由大のすぐ隣、哲学科のすぐ向かいにある)
が開くのは朝8時。試験担当局で木曜の窓口が
開いているのは朝10時から12時の2時間。
印刷から製本までは30分から1時間
(もちろん冊数や一般的にはページ数等で差が生じる)
かかるとの話を聞いていた。
時間的にはそこそこ余裕がある。

まずコピーショップに向かう前の段階から。
完成稿をメールで送る。
こうするとちょっと値段が安くなるとの話。
ただメールが向こうにきちんと着いたか、
添付した論文のファイルがきちんと(ファイル破損等なしに)
上げられたか、といった点は確認のしようがない。
そのため、自分のメールボックスにもファイルを送っておく。
こうすれば何かあっても、大学の図書館から
自分のメアドにログインしてそこから送り直すことが出来る。
荷物が1つ増えるのを厭わないなら、
USBスティックを持って行くのも手。
自分が使っているヤフーのフリーメアドでは、
ヤフージャパンだとドイツ語が、
ヤフードイツだと日本語が、
それぞれ文字化けするので、
きちんとヤフードイツの方を使う。
あとちょっと注意したのは、向こうのメアドあてということは
他の人が送ったファイルも向こうに届くということ。
よもや他の人のファイルを印刷したりはしないだろうとしても、
「博士論文」とか「原稿」とか「論文」とか、
ありきたりなファイル名のままだと
他の人のやつと紛れてしまうかもしれない
(実際向こうの人が自分のファイルを開く様子を見ているとき、
ファイル名が「博士論文」だけなのがいくつか見えた)。
ファイル名に自分の名前を入れておく。

提出した後に各教授にすぐ連絡が送れるように、
あらかじめ原稿をメールの下書きに入れておくこともやっておいた。

以上がパソコン周りの下準備。
続いて持ち物系の下準備。

まず印刷・製本されたものと比較できる原稿。
これは前日印刷したと言っていたやつ。用意済み。

自分は15冊作ってもらう算段になっていて、
1冊は200頁。
1500枚の紙となると、
昨日買った印刷紙500枚入りのやつ3つ分。
だとするとキャリーは要らないかな、と、
その日雨が降る可能性が高かったこともあり、そう判断。
代わりに行く途中スーパーで買い物袋を3枚ほど買うことにした。
こうしておけば、5冊ずつ3袋ににして、
1つはナップザックに入れて担ぎ、
残りを両手で持つことができるだろうな、と。

以前に見積もりしてもらった時とは
冊数とページ数に違いが出てきたため、
正確な金額は分かっていなかったが、
ECカード(こっちの銀行カード)で支払えるので、
どの道大量の金額は持ち歩かない(準備の必要なし)。
代わりに引き落としで足が出ないように
預金残高の確認は一応しておく。

準備はこれだけ。

実際には、スーパーに行ったら、
その日に限って買い物袋が全部品切れしていて、
別のスーパーに行ったらそこは8時開店だったため
それまで待たねばならなかった、といった
プチトラブルも間に挟まっていたりもした。
そのせいでコピーショップに着いたのは
予定より30分くらい遅れて8時半を回っていた。

何か長くなったので、次回に続く。

2011年4月18日月曜日

(主に移動が)長い水曜日

水曜に行ったことは特に大変なことでも、
変わったことでもなく、
寝る時間が無かったとか移動時間が長かったとか
ただ本人にとってキツかっただけ。

朝、開館時間に合わせて残りの文献の確認に図書館へ。

その後コピーショップで最終確認。
明日の朝ファイルを送るんでヨロシク、みたいな話。

家の近所まで帰って来て、
もう眠りたいのを我慢しつつ、
印刷紙とプリンターインク補充。
ここら辺はそれでもよく頭が回ったものだと思う。
一眠りした後夕方から最終稿(予定)を
自宅プリンターで通し印刷したのだが、
事実インクが途中で切れた。
予備を買っておいて正解。

それから朝までは時間はたっぷりあった。
でもここまででかなりきちんと見直しを済ませていたので、
追加記述した箇所に1つだけ重複記述があっただけだった。
もうこれくらいだと気づかなかった振りを
しようかとも思ったくらいだったが、
提出前最後のところが肝心とのアドバイスを
受けていたのも何かの啓示だろうと思い、
その一箇所を直す。画竜点睛さね。
気分はあまりそうではなかったけれど(笑。
そうして最終稿(真)が完成。

そしてもう木曜に入っていたわけだけれど、
印刷及び製本の一番興味深い部分の話は次回。

色々気になる火曜日

論文の色々な基本的体裁は火曜日以前に既に固まっていた。
特に本文は結果から言えばもうずっと前に完成していた。

チェックに力を入れていたのは脚注。
かなり思い切ったことを書いたつもりだとはいえ、
やはり学術論文は学術論文。
文献の参照指示等は疎かにできない。

日本語の論文だと、参照・引用文献の指示に
出版社とか版数とか何やらいっぱい書くことになると思うが、
ドイツ語の論文だと著者名、書名、出版地、出版年、
基本はこれだけで事足りる。
とはいえ、それでも参照や引用する度一々挙げていたら
面倒で仕方ないので、略記する。
著者名(名字だけ)+出版年だけ脚注では書いておいて、
巻末に対応リストを載せる。

さて、脚注に書かれた年と巻末リストの年が違っているものが
存在する、というのを発見してしまって、さあ大変。
いや、直すのは別に大変でも何でもない。
大体の場合は自分が使った版の年数を
併記してある初版の出版年と取り違えていた、
とかそれだけの話。
片方の年数の下二桁を訂正すればいいだけ。
何が大変かというと、他にもそういう
食い違いがないか洗い出す作業の方。
全部手動でやらなくてはならないし。

そうこうしている内に、名前は触れているのに
引用・参照文献はおろか、参考文献にも
文献を挙げていない固有名が出てきた。
一応論文の条件には「用いた文献・資料は
全て明記すること」が義務付けられている。
だがどの範囲まで挙げればいいか、
この辺の判断は難しい。

こうしたことを火曜日、ビザの更新に行って来てから、
夕方のゼミが始まる前までの時間にやって
(途中睡眠もとって)、
ゼミ後に図書館(フンボルト大)へ確認に。

帰ってきてからそれを反映させる。
フンボルト大の図書館で貸出中で
確認が出来なかったものもあったため、
自由大に行かねばならなくなった。
1.寝てから夕方か夜大学に行く
2.寝る前に大学に行ってそれから寝る
の選択肢があったわけだが、
ここで2を選択していたことが効を奏することになる。
1を選択していた場合、帰ってくるのが夜。
朝も早いが夜も早いドイツ人たちの中、
夜に印刷機をガーガーピーピーやらかすのは
退去勧告の署名集めを始めろと言っているのと同義。
すると翌朝印刷することになるが、
それだとコピーショップでの印刷製本&提出に
間に合わなくなっていたことだろうから。 

そして水曜に続く。

2011年4月17日日曜日

火曜から金曜にかけての強行日程

どうやら無事投稿できるようになったみたい。
前の話の続きをしよう。

火曜にビザ更新の日程がずれ込んだ。
復活祭も迫っている。
復活祭を挟んでしまうと
各教授へ論文を手渡しするのが
5月に割れ込んでしまう可能性が出てしまう。
またアイツは予定より遅れんのか、
と思われないためには是非とも今週中に
出しておきたかった。
そのためにかなりの強行日程になった。

火曜朝:    ビザ更新。
火曜夕~夜:  ゼミ(初回なのでサボるわけにいかず)。
火曜夜:    文献の漏れを埋めるべく図書館へ。
火曜深夜:   その書き込み。
水曜朝:    別文献の確認に図書館へ。
水曜午前:   ついでにコピーショップで最終確認。
水曜昼:    帰り際に印刷紙とプリンターインク補充。
水曜夕:    最終稿のつもりの原稿を通し印刷。
水曜夜~深夜: その最終チェック。手直し。
木曜朝:    最終稿完成。コピーショップへ送信。
木曜午前:   印刷・製本、そして提出へ。

大まかな流れだけ書いても、
いつ寝ていたのか、はたまたいつ食事摂ったのか、
記憶が曖昧。
今日土曜はおかげで爆睡していた。

提出のための窓口である試験担当局が開いている
曜日および時間が限られているものキツイところだった。
今は学期中で、そうでないときより一日だけ
多く開いているとはいえ、
それでも火・水・木曜、それぞれ2時間ずつしか開いていない。
本当なら、綴じる前の原稿をそこに持っていって、
自分の論文が形式上の問題をクリアしているか
チェックしてもらいたかったわけだけれど、
そんな時間もなかった。

それでは各エピソードの詳細は次回から。

IE9を入れたらブロガーの記事が書けなくなった

この週末にVistaのWindows Updateが
大量の更新を表示してきやがりました。

その内の1つにインターネット・エクスプローラー9が含まれていた。
これまではこの前Windowsを入れなおしたときのデフォルト、
8を使っていたが、その前に9のベータを入れていたこともあって、
何も考えず、そのままインストールを実行。

一度インターネットに接続していない状態でアップデートの実行を
行ってしまったため失敗→再起動ということはあったものの、
それ以外は難なくインストール完了。

設定等も引き継がれ、
デザインが変わって多少の戸惑いもありつつも、
ブラウジングは快適。

‥と思っていたら、ここbloggerで記事が書けないんでやんの。
せっかく記事書いて、「投稿を公開」ボタン押したら、
タイトルだけ出て、記事はなくなっていた。
編集画面に行ってみても、記事の中身がなかったことにされている。

そもそも記事を書く投稿の画面からしてちょっとおかしかった。
記事を書くときに使う上部の編集用バーが
きちんと表示されていなかったり、
記事の方は方で、改行が何かおかしかったり。

英語・ドイツ語のフォーラムを色々覗いてみたら、
別のブラウザを使うのが解決方法としては
一番簡単そうだったので、
生まれて初めてGoogle Chromeをインストールしてみた。
あ、これ早いなあ。
なんか、Chrome使わせられたみたいな気分も
ちょっとだけするものの、
これは単にIE9かbloggerのどっちかが未対応なだけだろう。

で、肝心なこと。
ここまで記事が表示されているなら、
これからも無事記事投稿が出来る。

2011年4月15日金曜日

さらっと言ってしまうが‥

今日博士論文を正式に提出してきた。
滞りなく受理された。
 
ただ、主査・副査の教授及び
その他3人の審査委員の人々に
それぞれ論文を手渡ししなければならないので、
それが終わってやっと提出した、と言えるかと。
 
---------
以下例によって経過の詳細。
これも長くなりそうなので、
何回かに分けて書くことになると思う。
 
まず、ベルリンではいわゆる「コピーショップ」と
いうものが発達していて、街の至る所に存在する。
機能は名前から容易に推測できるかと思う。
日本の生協とかにある製本所に近いのかどうか、
自分はそっちを使ったことがないので判断に困る。
卒論の時は自分で印刷した原稿を、
買ったクリアファイルみたいなやつに
セルフサービスコーナーでアイロンがけみたいにして
綴じ込んだだけだったもので。
ベルリンのコピーショップでは、
普通のコピー、本のスキャンとPDF化、
製本、CDやDVDの作成、
広告・フライヤー等の作成、
あるいはプリンター及びインク、
その他事務用品各種の販売、
等々、種々様々な業務を行っていて、
「印刷」とか「コピー」とかに関することなら
何でも取り扱っている、そんな場所。
 
論文の製本がしたいという今回の自分の場合、
文書を1つのPDFファイルとしてまとめ、
それをメールの添付ファイルとして
コピーショップに送る、
ということをしなければならなかった。
 
文書をワードを使って作成したのだが、
ワードについたPDF出力の機能は不安あり、
との話を聞いていたので、
変換のためのフリーソフトを探し、
いくつもダウンロードしておいた。
自分の論文では、ドイツ語はもちろん、
各種外国語のフォント(名前の表記のため)、
日本語のフォント(論理記号、数学記号その他用)
さらにはIMEに標準では含まれておらず、
外字エディタを使って自作したフォント、
といった文字が含まれているため、
フォントを埋め込んでPDF化する必要があった。
どのプログラムがフォントの埋め込みに対応しているか、
またどの程度正確にそれを行えるのか、
そこら辺は未知数だったので。
幸いなことに一番最初にインストールした
PDF995というソフトが大当たりだったので、
非常に助かった。
特に設定とかもいじらず
インストールした時のままで使ったが、
きちんとフォントデータを埋め込んでくれたし、
PDF化もすぐに出来る優れものだった。
 
それよりはワードそのもので苦労した。
ご存知、ワードは文書を分割したり
結合したりするのが苦手なエディタ。
長い文章を短く(例えば章ごとに)切って
後でくっつけようと考えるくらいなら、
最初から1つの文書として作成する方が
どれほど楽かということを身をもって知った。
コピー&ペーストも何かイマイチなのは
ずっと昔から変わらない。
改めて打ち直したほうが
よっぽど精神衛生上良かったりするし。
さらに途中でパソコン、特にワードのバージョンを
替えてから.docと.docxなる二つの形式を
混在させてしまったのも良くなかった。
新しい.docx形式を古い方で保存しなおそうとすると
なにやら失われる書式だかスタイルだかがあるらしく、
そんな警告を出されたら不安で仕方ない(笑。
どんな部分に変更が現れるのか、
具体的に示してくれるとありがたいんだが。
 
そんなわけで「1つのPDFファイル」という条件は、
実は「1つの」と「PDFファイル」という
2つの条件を含んでいたわけで、
前者をクリアするのにかなり時間を要した。
 
約1週間ほど前にこの二つの条件を
クリアした文書が仕上がったのだが、
それを印刷して前のものと比較したり、
改めて中身をチェックしてみると、
結構手直しが必要な所が見えてきて、
実はそこから今回の正式バージョンに至るまで
実に7つもベータ版のようなものが出来た。
いざ提出、となると、
色々気になる点が出てくるってことなのかも。
それでも、それはそれで良かった、
という話は次回。

ファラーフェルとかファラフェルとかいうものとケバプ競争

ファラーフェル、Wikiの日本語版の見出しはファラフェル。
どんな食べ物かと言うと、これまたWikiの引用で、
「水にもどしてから磨り潰したひよこ豆かそら豆、
またはその二つを混ぜたものにパセリやコリアンダーと
様々な香辛料を混ぜ丸めて揚げたもの」なのだそうだ。
もっと簡単に言うと、「ヒヨコマメまたはソラマメから作った
コロッケのような中東の食べ物」、これが的確。
 
ベルリンでは丁度ケバプのような感じで、
屋台やファラーフェル屋で食べることが出来る。
ケバプの肉をコロッケに代えるだけなので、
ケバプ屋がファラーフェル屋を兼ねていることもある。
値段も大体一緒。
 
デュルム‥と言っても伝わりづらいかもしれないので、
ブリトーと言ったほうが分かりやすい?
そんな薄皮の生地に筒の様に包まれて、
上のような感じ。
ちなみに家に帰る道中で半分食べてしまったので、
上の写真は食べかけ。
 
そのまま食べれば手も汚れず、
実に素晴らしい食事なのだが、
今回はブログに乗せる写真を撮るため解体。
この野菜の上に乗っかっているのが
定義上のファラーフェル。
ベルリンでは普通こうした生地か、
ケバプ用のパンに挟まっているので、
それをひっくるめてファラーフェルというのが
一般的だと思う。
 
-------
ここからはうちの近所のケバプ事情について。
 
自宅最寄駅を出たすぐのところにケバプ屋が
あるのだが、ここは立地条件が良過ぎて、
いつも結構人がいる。
ケバプ1つ2.5ユーロというのもネックで、
というのも自分は普通のケバプなら2ユーロ、
チキンケバプなら2.5ユーロを基準だと思っているから。
 
この値段でケバプを売ってくれていた店が、
一駅行った所にあって、
そこを行き着けにしていたのだが、
ここも1年か2年前に値上げを行い、
それ以来、ちっともケバプを食べない日々に突入した。
 
それが去年秋口くらいに
近所に新しいケバプ屋が出来た。
見事に2ユーロで。
ただ、ここは入り口からカウンターの間に
客席が置いてある作りなので、
こういう店にありがちな、
(常連)客のたまり場を抜けていかねばならない。
何となく入りづらい雰囲気なのだ。
値段のためもあって、いつも結構客がいる、
というのもあった。
 
それがさらに、最近もう一軒隣にケバプ屋が開店。
こっちはチキンケバプが1.9ユーロ。
まさにうってつけ。
さすがにいつも混んでいるが、
上の店と用途を使い分ければ、
結構欲しいタイミングでケバプを買えるようになった。
 
それに加え、別の駅方面へちょっと行ったところに
上のファラーフェルを買った屋台も出現した。
ここは自分の知る限り
もう3回は屋台が出来ては潰れを繰り返している、
そんな立地条件の非常に悪いところなのだが、
その分と言っては悪いが、いつもガラガラで、
行けばすぐに何か食べることが出来る。
 
こうしてケバプ、チキンケバプ、ファラーフェル
の黄金トリオがいつでも2ユーロ以下、
という嬉しい環境が最近出来たのだった。

2011年4月13日水曜日

ビザの更新に行ってきた

形式的なことは前の記事に書いたとおり。
 
4月の15日にビザが切れることになっていたので、
先週、新学期が始まる前にビザの延長をしに行こうと
もうかなりずっと前から予定を立てていた。
ビザだけは切らしてはいけないって話だからね。
 
もう勝手は分かっているので、
一応、本当に一応、念のため(くどい)、
開いている時間を確認すべく
外国人局のホームページを覗きに行ってみたところ、
今年の1月からは学生ビザの取得・延長にも
ホームページからの事前アポイントメントが取れる
との旨が書かれていたので、それで知った。
ちなみにビザが切れ掛かっていても、
その件に関する勧告みたいな手紙とかは
これまで一切来たことがなかった。
ホームページを覗いてみるものだなあ、と。
 
ウェブのフォームが用意されているので、
それに従って必要事項を入れていけばOK。
非常に簡単かつ所要時間も短い。
あまりに簡単だったため、
本当にアポが取れているのか、
今日、実際にビザの更新が済むまでは、
記事にしないで置こうと思ったくらい。
もちろん言うまでもなく、きちんと取れていた。 
 
フォームを記入し終わって、
アポの取りつけが完了すると、
詳細がPDFで出てくる。
指示通り印刷しておいた。
フォームのメール欄に入れたアドレス宛に
確認用のメールも着ていたが、
こっちにはPDFの添付がなかったので、
アポを取った後の画面に出てくるリンク先の
PDFはパソコンのHDDにでもダウンロードして
おくのがベターかもしれない。
これまでの整理券の代わりとなる番号に
自分が入れたデータしかそこにないとはいえ、
あるいはその番号さえ覚えておけば、
自分が呼ばれたのが分かるし、
向こうも名前その他の情報を把握しているので、
いくらでも照合のしようはありそうとはいえ、
やはり一応。
手続きの円滑さのためにも、一応。
 
必要な書類もそのPDFと、
別の一般的な必要書類のリンク先に記述があって、
これは特に変わりなかった。
どうせこういう時に必要な書類は
全部まとめてファイルしてあるので、
そこに今回の整理券が加わっただけ。
 
アポは1週間後から取れるようになっていた。
でもこれは時期による変動がありそう。
例えば多くの国で新年度となる9月付近とかだと
アポ取りは早めにしておくのが吉かと。
 
そんなわけで予定より1週間遅くなり、
新学期も始まってしまったが、
自分の生活に特に支障はなく、
無事期間内に更新を済ませることができた。
 
本当のことを言えば、
朝7時のアポに、それでも一応6時半には
現地に着いて列に並んでいたりもしたのだが、
これは全くもって必要なかった。
 
自分の番号が797番で、
表示番号は780番から始まっていたので、
それでもしばらくはかかるのかな、と思っていたら、
783番くらいから一気に番号が飛んで、
急に自分の番が来たため、逆に焦ったくらい。
アポは簡単にキャンセルも可能なため、
キャンセルが多く出たのかな?
焦って滅茶苦茶なドイツ語を喋っていた(笑。
それでも向こうの人がいい人だったことにも助けられ、
滞りなくビザの更新完了。
今までで一番楽だった。
 
以下道中見たもの。


花。
何の花かは分からないなあ(爆。 
もしかするとベルリンの桜もそろそろ、
あるいはもう時期が過ぎた?とか思ったが、
自分が知っているベルリンの桜スポットは、
いずれも自分の生活範囲外。
行こうとすると結構面倒な場所。
開花の確認にだけ行くのは増してちょっと。
   
前にも出したかも。橋。
上に登るのを防止するための棘。
そうしておかないと上に登って大騒ぎする連中が
後を絶たないのだろうなあ。
ワールドカップで優勝とかの暁には
天辺から川にダイブとかいかにもしそうだし。
 
外国人局の対岸に見える、
色とりどりに外壁を塗られた住居。
  

石畳を取った歩道。
踏んでみたら下は砂地で柔らかかった。
 
ちなみに。
アポを取った数日後、外国人局から手紙が来た。
1.何かヤバイことが?
2.この前のアポの確認を手紙でも?
二つの気持ちが入り乱れる中、封を切ってみると、
1月からインターネット上でも云々の、
上と前の記事に書いた内容の通達だった。
いつの話だ。
ドイツの手紙には必ずある日付もなく、
1月の話が今頃どうして自分の手元に来たか謎。
アポを取った後だったし、
それに反応した手紙ではないだろう。
その手紙を受け取った後では、アポを取ろうにも、
ビザが切れてしまう時に既になっていたので、
勧告でもないだろう。
これだけが唯一の謎として残ったが、
もうどうでもいい話。
 

ベルリン外国人局で学生ビザの取得・延長をするに際し、インターネットから事前にアポが取れるようになった件

タイトルの長さで自己記録を大幅更新(笑)。
 
誰かの役に立つかもしれない記事のため。
 
知っている人にはいつの話題だよって
話かもしれないけれど、
今年の1月から、ベルリンの外国人局で
学生ビザを取得あるいは延長する際に、
ネットから事前にアポイントメントが取れるようになった。
これをやって行けば、朝ものすごーーーく早起きして
長ぉぉぉぉぉ蛇の列に参加する必要や、
やたらとなっがーーーーい待ち時間ともおさらば。
3ヶ月前の話だとまだ知らない人、
これから初めてビザの取得に行かねばならない人も
いるかと思ったので、とりあえず書いておくことにした。
 
自分個人の話は次の記事へ。
 

2011年4月1日金曜日

ベルリン自由大学・社会科学学科


いわゆる「社会学」とは別にある学科。
どう違うのかは不明。
 
建物を、これは裏手から撮っている。
正面からは特に見栄えのしない普通の建物なので。
 
自由大は古い本を探す分には
フンボルト大より勝手がいいのだが、
新しい本の購入が割と遅い。
そんな中、ここの図書館は早い方なので、
結構ちょくちょくここに来る機会がある。
  
これらは一週間前の写真だけど、
春を見つけた、的な。
  
おまけ。

ヴァクダンの話

昨今ヨーロッパでは爆弾ブームが来ているのだが、
昨日はイタリア、スイス、ギリシャ、
そして未遂だったがドイツでも。
 
イタリアではアナーキストの中でも急進派に
そういった団体が存在して、
去年くらいかな、から爆弾騒ぎを起こしている。
今回もその一派絡みらしい。
ギリシャについては詳細が書かれていなかったが、
こちらもアナーキスト。
イタリアのその一派とつながりがあるとかないとか。
 
スイスでの爆弾は反原発派によるものと見られている。
 
ドイツでの爆弾は未遂。
犯人が捕まったが動機はまだ明らかになっていない。
  
で、さて、日本へと目を向けて見たら、
日本ではフクシマに街宣車が進入とのこと。
‥うーん何だかなあ‥ノーコメント。
 
東電本社前で行われているデモは、
こちらのメディアでも(では?)
非常に好意的に受け止められている。
何というか「やっと日本人も立ち上がった」
みたいな感じで。
自分がドイツに来てからの日本関連ニュース、
たとえば6カ国協議、捕鯨、自動車リコール、
ざっと思いつくまま挙げてみても
悪いニュースばっかりだったからなあ(笑)。
多分当の日本には伝わってなかったと思うけれど。
和がどうとか言う割には
世界とは歩調を合わせない国。
世界は変わることを望んでいる。
やっとその時が?ということなのだろう。
なのだろうなあ。
でも日本人だと退行と固着(フロイト)に
結局は帰るんだろうなあ、ということも
薄っすら分かってしまう。