去年も同じようなことをやっていた気がするが、
今年は春の段階、それも4月の段階で
一度やった飲み物の買いだめ。
まず最初はこんな感じ。
実は左から2番目のやつはその去年買ったやつで、
一年手付かずのまま。
筋肉の成長を促進するからスポーツの後に飲め、
みたいなことが書いてあって、
スポーツしないから飲めなかったとかそんな感じ。
一番右端のは紅茶だが2リットルは重いし大きいしで、
このパックを買うといつも結構苦労する。
珍しいのは一番左のやつで、
これは麦芽を使った、しかしノンアルコールのジュース。
味はかなり独特。
正直まずい。
慣れてくると飲めなくも無い。
でも多分2度と買うこともないだろう。
甘いビールって10年くらい前に飲んだことがあるが、
それともちょっと違う。
ビールをカラメル味にしたみたいな、そんな感じか?
本当に何とも言えない味。
真ん中2本は多分夏季限定か何かで、
去年買い逃した2本。
フンボルト大図書館の近くに
自分は普段足を運ばないレーヴェというスーパーがあって、
そこの棚にふと置いてあった。
そこのスーパーのジュースの品揃えは
結構他の所にはないものばかりで
自分の中でジュース屋と認識された。
その他一時期はまっていたコーヒー牛乳。
そしてその週の収穫。
左奥のも紅茶。
右手前は昆布茶。
アセロラ風味で割ったもの。
これももうアセロラジュースにしちゃえよというくらい微妙な味。
飲んだのは昨日。
暑さのせいもあって一日で飲みきったし、
味もすぐ慣れるものだけれど、
それでもこれもやはり2度目はないかな。
その他。
このブログで文句を言っていたら
最近増えだしたマシュマロ。
2012年5月24日木曜日
変化
3月にあげた自由大の新図書館建設現場の続き。
これは4月半ばの様子。
掘っているわけ、
掘っているのに自分の位置をわざわざ高くしている。
これって意味あるのかなあ、と思いながら見ていた。
で、こちらが5月ドイツの快晴、ついこの前。
上の写真と比べればどれだけ掘ったかよく分かると思う。
というか、結局全部土どけたんじゃないか。
何で最初から全部どけないんだろう。
あ、ちなみに4月の変わりやすい天気を
ドイツでは4月天気って言いますわな。
そのまんまですが。
Sバーン、リヒターフェルデ・ヴェストより。
落書きも完成してきた。
手が届くところはきちんと描けて、
左のは梯子に登りながら、
上のはこれは屋根から書いたのだろう、
そして大きな黒字は下から吹きつけ。
でも高い位置だったので簡単な字しか書けなかった、
とそんな様子が一目瞭然すぎてイマイチ。
いや、たまにあるわけ、
一体どうやってあんなところに描いたんだ?
ってなところに落書きがあることが。
自分の近所には30mくらいの間に
5、6件ケバプ屋がひしめいているところがあって、
激戦区ゆえか春先に一軒撤退、ピザ屋に変わった。
この間ちょっと買ってみたけれど、
こんな感じで中々オシャレな出来具合。
口頭試問の時、練習で録音して
自分で聞いていたという話をしたが、
自分で聞いている時間って
結構何もすることがなかったりしたわけ。
ウィンドウズの3Dピンボールやったり
ルービックキューブを回したりしつつ聞いていた。
3Dピンボールの方はそれで1000万点出せるようになり、
ルービックキューブの方は全面揃えるのに1分30秒で
出来たりもするようになった。
とはいえそれは5回中1回くらいで、
同じくらいの確率で2分くらいにもなる。
残り3回は1分45秒前後。
だから大体これが平均。
まだ全部手順覚えていないとか、
最初の段階で間誤付くとか、
先読みが全然出来ていない等、
改良の余地が大いにある。
これは4月半ばの様子。
掘っているわけ、
掘っているのに自分の位置をわざわざ高くしている。
これって意味あるのかなあ、と思いながら見ていた。
で、こちらが5月ドイツの快晴、ついこの前。
上の写真と比べればどれだけ掘ったかよく分かると思う。
というか、結局全部土どけたんじゃないか。
何で最初から全部どけないんだろう。
あ、ちなみに4月の変わりやすい天気を
ドイツでは4月天気って言いますわな。
そのまんまですが。
Sバーン、リヒターフェルデ・ヴェストより。
落書きも完成してきた。
手が届くところはきちんと描けて、
左のは梯子に登りながら、
上のはこれは屋根から書いたのだろう、
そして大きな黒字は下から吹きつけ。
でも高い位置だったので簡単な字しか書けなかった、
とそんな様子が一目瞭然すぎてイマイチ。
いや、たまにあるわけ、
一体どうやってあんなところに描いたんだ?
ってなところに落書きがあることが。
自分の近所には30mくらいの間に
5、6件ケバプ屋がひしめいているところがあって、
激戦区ゆえか春先に一軒撤退、ピザ屋に変わった。
この間ちょっと買ってみたけれど、
こんな感じで中々オシャレな出来具合。
口頭試問の時、練習で録音して
自分で聞いていたという話をしたが、
自分で聞いている時間って
結構何もすることがなかったりしたわけ。
ウィンドウズの3Dピンボールやったり
ルービックキューブを回したりしつつ聞いていた。
3Dピンボールの方はそれで1000万点出せるようになり、
ルービックキューブの方は全面揃えるのに1分30秒で
出来たりもするようになった。
とはいえそれは5回中1回くらいで、
同じくらいの確率で2分くらいにもなる。
残り3回は1分45秒前後。
だから大体これが平均。
まだ全部手順覚えていないとか、
最初の段階で間誤付くとか、
先読みが全然出来ていない等、
改良の余地が大いにある。
2012年5月23日水曜日
デジカメに溜まった写真の整理、食べ物編
5月寒いと書いたから、
恒例の様に次の日から暑くなって
現在30度近くの日が続くベルリンより。
今回に限っては確信犯だけどね。
天気予報で暑くなるって聞いていたので。
写真は復活祭、4月頭の頃。桜。桜?
極端に暑いのと極端に寒いのが交互に来たせいで、
今年は桜もいつ咲いたのか分からなかった。
だから桜だと思っていたけれど実は梅だったりしたのか、
とか、色々変だった、今年の春は。
その復活祭の時限定で近所のパン屋が出していた
イースターエッグを模した菓子パン。
以下学食より通常のメニューだけど、
見た目がそこそこ良かったので撮っておいたもの。
3月終わりくらいから何かしら毎日学校に行っていたので、
一食は学食で済ますというパターンが出来ていて、
でも3月、4月は前に言っていた
超早起き&早寝期間だったので、
学食で食べるのは時に食事系、
時に以下の様な間食系のものだったりした。
クレープ。
フォークとナイフで食べるんだ。
ブラウニー。
ここはチーズケーキっぽいものだったり、
日によってバリエーションがある。
その横にはこれよりちょっとリッチなケーキもあって、
気分により2択。
自分の中では非常に高評価だった。
サラダも日替わりなので、残念ながらたまにしかないけれど。
というか見たのはこの日だけだったけれど。
恒例の様に次の日から暑くなって
現在30度近くの日が続くベルリンより。
今回に限っては確信犯だけどね。
天気予報で暑くなるって聞いていたので。
写真は復活祭、4月頭の頃。桜。桜?
極端に暑いのと極端に寒いのが交互に来たせいで、
今年は桜もいつ咲いたのか分からなかった。
だから桜だと思っていたけれど実は梅だったりしたのか、
とか、色々変だった、今年の春は。
その復活祭の時限定で近所のパン屋が出していた
イースターエッグを模した菓子パン。
以下学食より通常のメニューだけど、
見た目がそこそこ良かったので撮っておいたもの。
3月終わりくらいから何かしら毎日学校に行っていたので、
一食は学食で済ますというパターンが出来ていて、
でも3月、4月は前に言っていた
超早起き&早寝期間だったので、
学食で食べるのは時に食事系、
時に以下の様な間食系のものだったりした。
クレープ。
フォークとナイフで食べるんだ。
ブラウニー。
ここはチーズケーキっぽいものだったり、
日によってバリエーションがある。
その横にはこれよりちょっとリッチなケーキもあって、
気分により2択。
これもクレープって言えばクレープなんだけれど、
要は向こうの人が作って置いてあるやつ。
何ていえばいいんだろう。ドイツ語でしか分かんない。
おまけ。
こちらが(本格的な?)モッツァレラチーズとトマトのサラダ。自分の中では非常に高評価だった。
サラダも日替わりなので、残念ながらたまにしかないけれど。
というか見たのはこの日だけだったけれど。
2012年5月20日日曜日
チャンピオンズリーグ決勝
チャンピオンズリーグ決勝。
今年は決勝がミュンヘンで行われることになっていて、
おまけにバイエルンが決勝まで残ったものだから
それはドイツでは盛り上がっていたわけ。
さらに加えて言えば、
バイエルンはもうほとんどドイツ代表みたいなもので、
スペインに対する苦手意識も共有されているわけだが、
バルセロナではなくチェルシーが決勝の相手ということで、
心中密かに優勝は貰ったと思っていたに違いない。
ミュンヘンの様子は前日からニュースでも流れ、
前日からこの人たちは何をしているのだろうというほどだった。
当日はもっと凄かったようで、
外の特設会場では6万5千人が集まったって言っていた。
ちなみにミュンヘンのスタジアムは
満員だったらそれと同じくらいの人は入るわけで、
これこそ本当に異様な盛り上がりだった。
バイエルンは再三言っているようにどちらかと言うと嫌いなクラブだ。
でも今回は僕はバイエルンが優勝するのだろうと予想していた。
(ベルリンとは全く違って)バイエルンはブンデスリーガ中、
最もホームで相手にしたくないチームだと思う。そこは認める。
おまけにチェルシーはこの日引いてきた。
バイエルンの弱点はとにかくディフェンス面、
それを隠すための充実した攻撃陣が相手チームを引かせられれば、
ゲームはバイエルンの筋書き通りなのだ。
センターバックのバトシュトゥバーが出場停止とかあったのに、
僕は最近のチェルシーのサッカーを知らないが、
脱モウリーニョなら、と思いきや、一転その頃よりも守備的だった。
だから83分まではバイエルンの計算通りだった。
ここまではチーム全体の出来としてもバイエルンが勝ちにふさわしかった。
流れが一転したのはそこから4分後、
87分にミュラーに代えてファン・ブイテンが投入されたとき。
終了前3分、確かに分からなくもない時間帯だが、
バイエルンのベンチは守備の意思表示をした、ということ。
そしてその実に1分後にドログバがゴールを決める。
バイエルンの指揮官ハインケスは、
はっきり言ってここが今シーズンのバイエルン最大の失敗なのだが、
この日も最後の最後でやらかした。
バイエルンはいい加減高い金払って選手はもういいから
監督を連れて来るべきだろうと思った。
ここ一番で決めたドログバの勝負強さというより、
その前までのポストプレーの強さが大いに賞賛に値すると思う。
前半は消えていたけれど、
後半尻上がりに力強さとタフさを発揮して、
バイエルンのディフェンダー陣の手を焼かせた。
ロングボールを相手を背負いながら止めてキープとか、
そもそも全然倒されないとか、
このタイプはブンデスリーガには存在しない。
バイエルンのセンターバックにはほとんど初の経験だったろう。
壁を相手にしているような感じだったのではと、
それくらいドログバはごつく、センターフォワードの鏡だった。
ドログバのヘディングは去年までのノイアーなら止められたかな。
今年のノイアーはダメだわ。
ユーロの時改めて書くかもしれないけれど、
今シーズンになってノイアーはドイツレベル内で
平凡なキーパーになってしまった。
去年までが神懸かっていたのかもしれないが、
ミスは多いし相手のシュートレンジからゴール枠に至るまで
対応出来る範囲が前よりぐっと狭まった。
集中できてないんじゃないかとも思う。
PKをはずしたロッベン、シュバインシュタイガー、
これら合わせてメンタル面に問題ありかと。
この日(に限らないけど)抜群の安定を見せた
チェルシーのキーパー、チェフ、
そこからゴールを奪ったミュラー。
そこから土壇場で同点ゴールを奪ったドログバ、
相手にPK与えたドログバ、
最後にPK決めたドログバ、
最後は全部ドログバが持っていった。
ヒーロー→戦犯→ヒーロー。
これが千両役者か。
幸いドログバはユーロには居ないが、
今回の試合はドイツ代表にも響きそうだなあ、
といささかの懸念。
今年は決勝がミュンヘンで行われることになっていて、
おまけにバイエルンが決勝まで残ったものだから
それはドイツでは盛り上がっていたわけ。
さらに加えて言えば、
バイエルンはもうほとんどドイツ代表みたいなもので、
スペインに対する苦手意識も共有されているわけだが、
バルセロナではなくチェルシーが決勝の相手ということで、
心中密かに優勝は貰ったと思っていたに違いない。
ミュンヘンの様子は前日からニュースでも流れ、
前日からこの人たちは何をしているのだろうというほどだった。
当日はもっと凄かったようで、
外の特設会場では6万5千人が集まったって言っていた。
ちなみにミュンヘンのスタジアムは
満員だったらそれと同じくらいの人は入るわけで、
これこそ本当に異様な盛り上がりだった。
バイエルンは再三言っているようにどちらかと言うと嫌いなクラブだ。
でも今回は僕はバイエルンが優勝するのだろうと予想していた。
(ベルリンとは全く違って)バイエルンはブンデスリーガ中、
最もホームで相手にしたくないチームだと思う。そこは認める。
おまけにチェルシーはこの日引いてきた。
バイエルンの弱点はとにかくディフェンス面、
それを隠すための充実した攻撃陣が相手チームを引かせられれば、
ゲームはバイエルンの筋書き通りなのだ。
センターバックのバトシュトゥバーが出場停止とかあったのに、
僕は最近のチェルシーのサッカーを知らないが、
脱モウリーニョなら、と思いきや、一転その頃よりも守備的だった。
だから83分まではバイエルンの計算通りだった。
ここまではチーム全体の出来としてもバイエルンが勝ちにふさわしかった。
流れが一転したのはそこから4分後、
87分にミュラーに代えてファン・ブイテンが投入されたとき。
終了前3分、確かに分からなくもない時間帯だが、
バイエルンのベンチは守備の意思表示をした、ということ。
そしてその実に1分後にドログバがゴールを決める。
バイエルンの指揮官ハインケスは、
はっきり言ってここが今シーズンのバイエルン最大の失敗なのだが、
この日も最後の最後でやらかした。
バイエルンはいい加減高い金払って選手はもういいから
監督を連れて来るべきだろうと思った。
ここ一番で決めたドログバの勝負強さというより、
その前までのポストプレーの強さが大いに賞賛に値すると思う。
前半は消えていたけれど、
後半尻上がりに力強さとタフさを発揮して、
バイエルンのディフェンダー陣の手を焼かせた。
ロングボールを相手を背負いながら止めてキープとか、
そもそも全然倒されないとか、
このタイプはブンデスリーガには存在しない。
バイエルンのセンターバックにはほとんど初の経験だったろう。
壁を相手にしているような感じだったのではと、
それくらいドログバはごつく、センターフォワードの鏡だった。
ドログバのヘディングは去年までのノイアーなら止められたかな。
今年のノイアーはダメだわ。
ユーロの時改めて書くかもしれないけれど、
今シーズンになってノイアーはドイツレベル内で
平凡なキーパーになってしまった。
去年までが神懸かっていたのかもしれないが、
ミスは多いし相手のシュートレンジからゴール枠に至るまで
対応出来る範囲が前よりぐっと狭まった。
集中できてないんじゃないかとも思う。
PKをはずしたロッベン、シュバインシュタイガー、
これら合わせてメンタル面に問題ありかと。
この日(に限らないけど)抜群の安定を見せた
チェルシーのキーパー、チェフ、
そこからゴールを奪ったミュラー。
そこから土壇場で同点ゴールを奪ったドログバ、
相手にPK与えたドログバ、
最後にPK決めたドログバ、
最後は全部ドログバが持っていった。
ヒーロー→戦犯→ヒーロー。
これが千両役者か。
幸いドログバはユーロには居ないが、
今回の試合はドイツ代表にも響きそうだなあ、
といささかの懸念。
2012年5月19日土曜日
いつの間にかブンデスリーガもシーズンを終えていて
この一ヶ月何があったかな、その他に。
4月は、そして今のところまで5月も、春が来ない。
まだ最低気温は6度とかその辺だし、
最高気温でも13度ら辺。
4月には一週間だけ30度近くまで行った時期があって、
急に夏が来た雰囲気もしたりなんかしたが、
それ以前、以降は共にちょっと寒い。
ブンデスリーガもシーズンが終わってしまった。
ドルトムント優勝。連覇。
これはもうかなり順当。
リーガで一番見事なサッカーをしていたから。
今シーズンは香川もここに中心的と言っていい役割で絡んだ。
シーズン前半は前に書いたように不安があったけれど、
後半は別人だった。こっちに合わせてきたのかもしれない。
岡崎とか長谷部とか全然名前を聞かなくなったのとは対照的に
酒井や細貝といった新しい面々は活躍が目立った。
特に酒井なんかはベスト11に選ばれた週もあったはず。
その細貝の居たチーム、アウクスブルクは、
誰に聞いても降格間違いないと言われていたのに、
こちらも後半戦に合わせてきたのか、
見事に1部残留を果たした。
代わってって言い方も変だが、降格したのはベルリン。
またか。
ここにはちょっと色々あった。
ブンデスリーガはシーズン終了時点で
1部の最下位2チームと2部の最上位2チームが入れ替え、
1部下から3位のチームと2部上から3位のチームが
ホーム&アウェーで入れ替え戦を行う。
ベルリンは最終節の前節まで下から2位だった。
下から3位だったケルンが最終節で負け、
ベルリンは勝ったことによってギリギリ下から3位を確保し、
1部残留に望みをつないだのだった。
だが、入れ替え戦で勝たなければその苦労も水の泡。
そして本当にそうなってしまったのだ。
前にレーハーゲル来たし大丈夫だろうなんて書いたが、
またしても逆のことが起こったこのブログ。
入れ替え戦の第一戦はベルリンのホームで行われた。
こっちはまだ試験前だったので見ていなかったが、
ベルリンは1-2で負けた。
自殺点に象徴されるよう、いつものホームでの弱さを露呈。
2試合目、デュッセルドルフのホーム。
ベルリンは最低でも2点必要、
そんな状況を踏んでか、
チームとしての戦略が明確だったのはデュッセルドルフの方。
ボールを奪いに行く→カウンター。
ベルリンの方はビビッて全然前に行けなかった。
この試合は発炎筒か爆竹が投げ込まれたり、
試合終了前にデュッセルドルフのサポーターが
大量にグラウンドに乱入したり、と中断。
特に後者の中断は20分に渡ったり、
ドイツでは「Skandalspiel」として話題(問題?)になった。
あるいは現在もなっている。
様子はYoutube等でこの語句+Berlinとかで検索すれば
多分いっぱい動画が出てくると思うのでそちらをどうぞ。
自分的にはヘルタベルリンの戦い方が
1部のチームが2部のチームを相手にする
戦い方では無かった点が不満なわけで、
降格も致し方ないかな、と。
一年で1部に戻って一年で2部に戻る。
ただ今回は主力選手の引き止めは出来ないだろうから
一年で1部に戻ってくるのは相当大変になるだろう。
デュッセルドルフは15年ぶりに1部復帰らしい。
ベルリンも‥?
4月は、そして今のところまで5月も、春が来ない。
まだ最低気温は6度とかその辺だし、
最高気温でも13度ら辺。
4月には一週間だけ30度近くまで行った時期があって、
急に夏が来た雰囲気もしたりなんかしたが、
それ以前、以降は共にちょっと寒い。
ブンデスリーガもシーズンが終わってしまった。
ドルトムント優勝。連覇。
これはもうかなり順当。
リーガで一番見事なサッカーをしていたから。
今シーズンは香川もここに中心的と言っていい役割で絡んだ。
シーズン前半は前に書いたように不安があったけれど、
後半は別人だった。こっちに合わせてきたのかもしれない。
岡崎とか長谷部とか全然名前を聞かなくなったのとは対照的に
酒井や細貝といった新しい面々は活躍が目立った。
特に酒井なんかはベスト11に選ばれた週もあったはず。
その細貝の居たチーム、アウクスブルクは、
誰に聞いても降格間違いないと言われていたのに、
こちらも後半戦に合わせてきたのか、
見事に1部残留を果たした。
代わってって言い方も変だが、降格したのはベルリン。
またか。
ここにはちょっと色々あった。
ブンデスリーガはシーズン終了時点で
1部の最下位2チームと2部の最上位2チームが入れ替え、
1部下から3位のチームと2部上から3位のチームが
ホーム&アウェーで入れ替え戦を行う。
ベルリンは最終節の前節まで下から2位だった。
下から3位だったケルンが最終節で負け、
ベルリンは勝ったことによってギリギリ下から3位を確保し、
1部残留に望みをつないだのだった。
だが、入れ替え戦で勝たなければその苦労も水の泡。
そして本当にそうなってしまったのだ。
前にレーハーゲル来たし大丈夫だろうなんて書いたが、
またしても逆のことが起こったこのブログ。
入れ替え戦の第一戦はベルリンのホームで行われた。
こっちはまだ試験前だったので見ていなかったが、
ベルリンは1-2で負けた。
自殺点に象徴されるよう、いつものホームでの弱さを露呈。
2試合目、デュッセルドルフのホーム。
ベルリンは最低でも2点必要、
そんな状況を踏んでか、
チームとしての戦略が明確だったのはデュッセルドルフの方。
ボールを奪いに行く→カウンター。
ベルリンの方はビビッて全然前に行けなかった。
この試合は発炎筒か爆竹が投げ込まれたり、
試合終了前にデュッセルドルフのサポーターが
大量にグラウンドに乱入したり、と中断。
特に後者の中断は20分に渡ったり、
ドイツでは「Skandalspiel」として話題(問題?)になった。
あるいは現在もなっている。
様子はYoutube等でこの語句+Berlinとかで検索すれば
多分いっぱい動画が出てくると思うのでそちらをどうぞ。
自分的にはヘルタベルリンの戦い方が
1部のチームが2部のチームを相手にする
戦い方では無かった点が不満なわけで、
降格も致し方ないかな、と。
一年で1部に戻って一年で2部に戻る。
ただ今回は主力選手の引き止めは出来ないだろうから
一年で1部に戻ってくるのは相当大変になるだろう。
デュッセルドルフは15年ぶりに1部復帰らしい。
ベルリンも‥?
2012年5月16日水曜日
今後の予定等
そこで気になる今後の予定について。
まず今やっているのは出版社探し。
博士論文は出版が義務付けられている。
課程規定には出版を怠ると博士号取り消しという
脅し文句が明記されているのだ。
しかも2年以内とかいう期限までついている。
しかし出版社さえ決まれば、
そこが何時出してくれるか証明してくれるので
そこまで期限を先伸ばしても良いような事が書かれている。
さすがにそこまで鬼ではないというわけだ。
だが帰国を考えている身としては、
ドイツに居る内に出版社を見つけておきたい。
ざっとホームページ等見てみる限り
審査に3ヶ月から半年かかるのだそうだ。
しかしその前に論文の要旨を書かなくてはならない。
口頭試問の時はより簡潔により簡潔にと書いたが、
これでは内容もインパクトも薄すぎて審査は通らないだろう。
そんなわけで、きちんとした(?)要旨を現在作成中。
要するにそれ読んでも分からないから、
論文本体を送ってくれ、となって、
おおこれなら、という流れになれば、と考えている。
自宅の解約は4月に通告済み。
ドイツでは長いこと一箇所に住んでいると
解約までの期間が長くなる。
自分の場合は半年。
解約通告の時点で合否なんて分かったものではなかったが、
受かれば帰る、落ちたら別の部屋を探せばいいか、
と見込みで解約をしていた。
大家さんによる自宅点検等はまだ少し先になる。
学生の身分とビザと保険。
博士号を取っても学期末までは学生登録が有効。
なのでゼメスターチケット(定期券)も有効。
ただ自分の場合、試験の翌日にビザの方が
失効を迎えることになっていた。
外国人局のHPでアポイントを取ったら、
ずっと先になって、7月の半ばということになった。
それまでビザは有効だが、
有効だと証明が出来ないのが困るところ。
というのも、今保険を探している。
前の保険屋がちょっと駄々こねて
何か一年くらいゴタゴタしているのだ。
ビザを取る(更新する)のに保険加入の
証明が必要だということもある。
だが保険屋からするとこっちはこっちで
ビザが必要だと言い出す。
こうして堂々巡りに陥っているわけだ。
昨日前の保険屋と話をつけてきたので、
ビザ更新までの保険はどうにかなりそうだ。
その他解約しなければならないことは多々あれど、
いずれも今すぐに行わなければならないという事項ではないので
追々話すことにしよう思う。
このブログも後半年。
まず今やっているのは出版社探し。
博士論文は出版が義務付けられている。
課程規定には出版を怠ると博士号取り消しという
脅し文句が明記されているのだ。
しかも2年以内とかいう期限までついている。
しかし出版社さえ決まれば、
そこが何時出してくれるか証明してくれるので
そこまで期限を先伸ばしても良いような事が書かれている。
さすがにそこまで鬼ではないというわけだ。
だが帰国を考えている身としては、
ドイツに居る内に出版社を見つけておきたい。
ざっとホームページ等見てみる限り
審査に3ヶ月から半年かかるのだそうだ。
しかしその前に論文の要旨を書かなくてはならない。
口頭試問の時はより簡潔により簡潔にと書いたが、
これでは内容もインパクトも薄すぎて審査は通らないだろう。
そんなわけで、きちんとした(?)要旨を現在作成中。
要するにそれ読んでも分からないから、
論文本体を送ってくれ、となって、
おおこれなら、という流れになれば、と考えている。
自宅の解約は4月に通告済み。
ドイツでは長いこと一箇所に住んでいると
解約までの期間が長くなる。
自分の場合は半年。
解約通告の時点で合否なんて分かったものではなかったが、
受かれば帰る、落ちたら別の部屋を探せばいいか、
と見込みで解約をしていた。
大家さんによる自宅点検等はまだ少し先になる。
学生の身分とビザと保険。
博士号を取っても学期末までは学生登録が有効。
なのでゼメスターチケット(定期券)も有効。
ただ自分の場合、試験の翌日にビザの方が
失効を迎えることになっていた。
外国人局のHPでアポイントを取ったら、
ずっと先になって、7月の半ばということになった。
それまでビザは有効だが、
有効だと証明が出来ないのが困るところ。
というのも、今保険を探している。
前の保険屋がちょっと駄々こねて
何か一年くらいゴタゴタしているのだ。
ビザを取る(更新する)のに保険加入の
証明が必要だということもある。
だが保険屋からするとこっちはこっちで
ビザが必要だと言い出す。
こうして堂々巡りに陥っているわけだ。
昨日前の保険屋と話をつけてきたので、
ビザ更新までの保険はどうにかなりそうだ。
その他解約しなければならないことは多々あれど、
いずれも今すぐに行わなければならないという事項ではないので
追々話すことにしよう思う。
このブログも後半年。
2012年5月15日火曜日
口頭試問
前回準備の話で直前の所まで触れたので、
今回はもう本番の話。
と言っても忙しかったり覚えているのはここまでで、
口頭試問自体は特筆すべきことがあまりない。
テーゼを提出してからメーデーを挟んで期限の日までに
誤字を発見したため、テーゼを配りなおした。
一部の人には直接会う機会もあったので
その時に直接手渡したりもした。
それでもさらにもう1つ細かい所に脱字を見つけて、
結局正式バージョンは当日に配った。
もう述べたように、
口頭試問は自分の15~20分の発表から始まる。
だから話の切り出しというか、
場合によっては全体のイニシアティブはこちらにある。
始まるまでは全然緊張していなかったが、
始まった後で原稿を持つ指は震え、
口と喉はカラカラ。
読み上げも結構つっかえたし、
文の頭からの言い直しもあった。
原稿配布作戦によって人々は割とそっちを見ていたが、
それでも人と話す時は目を見てそらさない人たち。
視界の片隅に視線を感じるわけ。
内容は論文に比べれば相当薄めた。
自分の論文を全く読んだ事が無い人でも
その場で分かるようにというのが目標ではないが一応の基準。
論文を100倍は薄めた積もり。
でも僕から終わりの言葉が出た時皆安堵(?)の
ため息をしていた。
とりあえずこの発表は良かったのだと思う。
というか、これだけで口頭試問を受かったようなもの。
そこから30分か40分質疑応答があったけれど、
これはもうろくすっぽ満足に答えることが出来なかった。
全部終わった後、評価は理由と共に告げられるのだが、
その理由は僕がもっと喋ることを期待していたから、
というものだった。答える自分よりも質問する
教授の方がいっぱい喋っていた。
いっぱい喋られると
何を答えていいかポイントが分からなくなる。
途中から何を言っているかもよく掴めて来なくもなる。
それでも比較的分かり易い質問をしてくれる人も
居たりして、評価のがた落ちが回避された形だろうか。
前に他の人の様子を見た時は、
各教授が1つずつ質問して行き、
時間が許せばもう1回質問できた人が居た、
という具合だったのだが、
自分の場合は最初から2点質問があるとか、
半分くらいは3点あったんじゃないかな。
何だ、この数。
一人の人は質問なしだったのだが、
残りの4人は2巡。
この内一人の人とは事前打ち合わせみたいなこともしていた。
その教授の研究室で3つほど質問の候補を決めて、
僕が予め用意できるようにとの配慮だった。
で、本番はその質問が来なかった。
話の流れってのもあるから仕方ない。
限られた時間の中で完全には不可能でも一定の了解に
達することは評価に際しポイントとなってくる点かと思うが、
そんなことを言ったら何一つ了解に至らなかったのでは、
とも思う。教授たちからしたら、
もう1回これをやるのかやらないのか、と考えたら
もうこれでいいかな、というのが多分本音なんではと。
朝の10時からだというのに皆グッタリのヘビーな内容。
そして今後の話へ。
今回はもう本番の話。
と言っても忙しかったり覚えているのはここまでで、
口頭試問自体は特筆すべきことがあまりない。
テーゼを提出してからメーデーを挟んで期限の日までに
誤字を発見したため、テーゼを配りなおした。
一部の人には直接会う機会もあったので
その時に直接手渡したりもした。
それでもさらにもう1つ細かい所に脱字を見つけて、
結局正式バージョンは当日に配った。
もう述べたように、
口頭試問は自分の15~20分の発表から始まる。
だから話の切り出しというか、
場合によっては全体のイニシアティブはこちらにある。
始まるまでは全然緊張していなかったが、
始まった後で原稿を持つ指は震え、
口と喉はカラカラ。
読み上げも結構つっかえたし、
文の頭からの言い直しもあった。
原稿配布作戦によって人々は割とそっちを見ていたが、
それでも人と話す時は目を見てそらさない人たち。
視界の片隅に視線を感じるわけ。
内容は論文に比べれば相当薄めた。
自分の論文を全く読んだ事が無い人でも
その場で分かるようにというのが目標ではないが一応の基準。
論文を100倍は薄めた積もり。
でも僕から終わりの言葉が出た時皆安堵(?)の
ため息をしていた。
とりあえずこの発表は良かったのだと思う。
というか、これだけで口頭試問を受かったようなもの。
そこから30分か40分質疑応答があったけれど、
これはもうろくすっぽ満足に答えることが出来なかった。
全部終わった後、評価は理由と共に告げられるのだが、
その理由は僕がもっと喋ることを期待していたから、
というものだった。答える自分よりも質問する
教授の方がいっぱい喋っていた。
いっぱい喋られると
何を答えていいかポイントが分からなくなる。
途中から何を言っているかもよく掴めて来なくもなる。
それでも比較的分かり易い質問をしてくれる人も
居たりして、評価のがた落ちが回避された形だろうか。
前に他の人の様子を見た時は、
各教授が1つずつ質問して行き、
時間が許せばもう1回質問できた人が居た、
という具合だったのだが、
自分の場合は最初から2点質問があるとか、
半分くらいは3点あったんじゃないかな。
何だ、この数。
一人の人は質問なしだったのだが、
残りの4人は2巡。
この内一人の人とは事前打ち合わせみたいなこともしていた。
その教授の研究室で3つほど質問の候補を決めて、
僕が予め用意できるようにとの配慮だった。
で、本番はその質問が来なかった。
話の流れってのもあるから仕方ない。
限られた時間の中で完全には不可能でも一定の了解に
達することは評価に際しポイントとなってくる点かと思うが、
そんなことを言ったら何一つ了解に至らなかったのでは、
とも思う。教授たちからしたら、
もう1回これをやるのかやらないのか、と考えたら
もうこれでいいかな、というのが多分本音なんではと。
朝の10時からだというのに皆グッタリのヘビーな内容。
そして今後の話へ。
2012年5月14日月曜日
非必然的準備
口頭試問への準備その他編。
まずはずっと言っているけどドイツ語から。
これは春先に大学から
留学生博士課程在学者向けドイツ語コースが開かれるとの
メールを受け取っていたのでそれに参加していた。
随分前から存在は知っていたのだが、
学部に張り出されるのはいつも学期が始まってから
しばらく経った後で、途中参加するものなあ、
ってくらいになってやっと気づくとか
そんな感じだったのでこれまで参加したことがなかった。
今回はメールで開始時期も分かったし、
背に腹もかえられないような状況だったので。
週一、正味1時間半、でもやらないよりはマシか。
ただコースの開始は4月も半ばを過ぎてからだったので
口頭試問まで3回かな、それくらいの回数。
原稿読みの練習も録音20分にそれを聞くの20分で、
結構これも時間かかるからあまりそれ以上の
ドイツ語練習は出来なかったというのが実際のところだった。
当初の3ヶ月計画を1ヵ月に縮めなくてはならない
しわ寄せが一番出てしまったところ。
後は原稿は配布用と自分が読み上げる用の2パターン容易。
配布用は初期のものに近い削っていないもの、
読み上げ用はそれに読まない所を横線で消したもの。
そうすると接続詞とか語順が変わったりするのだが、
段落毎の位置を両方で合わせて置く。
これが細かい技だが非常に本番では功を奏した。
どの教授も何ページのここのところだけど、
と配布した原稿を元に質問してきたから。
一々、え、どこですか、ああ、自分のだと、
とか間誤付いているとそれだけでまどろっこしくなったろう。
これは論文提出の時と同じ学部の目の前に店を構えた
印刷屋にテーゼ共々メールで送って、そこで印刷した。
20部刷ったけど10部も要らなかった。
身だしなみ。
学期が始まる前散髪。
また自分でやったのだが、横と後ろを短くし過ぎて、
最初ぶち猫みたいになった。
やり直したらバリカンの刃が欠けるし充電切れるし、
友人いわくモヒカンみたいになったとのこと。
先述のドイツ人の友人に言わせると「今風」。
なってねーよ。失敗だよ。
でもそのまま1ヵ月。
後はスーツ。8年ぶりくらい。やっと出番が来た。
穴とか開いてるんじゃないかと不安だったので、
練習も兼ねて試験の週はこれを着ていた。
持ち物。
原稿のコピーと部屋の準備のため
1時間から1時間半前に大学に到着。
原稿はA4紙両面4ページ、これをホッチキスで止める。
原稿は印刷屋にメール。その日の朝方。
メールが上手く届かなかった事態も考慮して
USBスティックでも持っていった。
途中で学生が入ってこないよう、
口頭試問中だということが分かるような張り紙。
これは大学の掲示板に張り出され、
自分や各教授にも郵送された日程受理の時の手紙、
これを持っていった。貼り付けるためのセロテープとともに。
部屋の机と椅子の整頓。
場合によっては黒板に何か書くこともありうるので
黒板を消して、チョークの存在も確認。
なかったらどっかからパクって来る算段だった。
朝一の時間帯だったので窓を開けて空気を入れ替える。
そうしたらその日は暑かったので
でっかいスズメバチが乱入してきた。
自分の荷物は狙われたが自分は幸い狙われなかった。
上手いこと窓の所に来たときに閉めつつ閉め出した。
ちょっとこれに予想外の時間を食われ先が思いやられた。
ともあれ持ち物。
その他に4冊の本と2冊分のコピー。
これは質問に出てきそうなところだったので。
結局出てこなかったけれど。
後、来そうな質問を予め想定し用意した回答集。
これも使わなかったけれどA4で5,6枚くらいかな。
後引用に役立ちそうな本からのコピー数枚。
それと博士課程の規定。何かあったときのため。
主に落ちた時のためか。
これにもちろん自分の論文。
こんなところがリュックの中身。
これに普段から入っているものとか眼鏡とか電子辞書、
と結構重い荷物になった。
が、さらに、水。
500mlペットボトル人数(5プラス自分用)分に予備の7本、
これと前日1ユーロショップで買ってきたプラスチックコップを
ケースに入れて手持ち。
実は荷物の持ち運びだけでかなりしんどかった。
自由大は駅から歩かないといけないし。
最初はコーヒーも用意しようかと思ったが、
それ用にポットを買うのはさすがに面倒だった。
荷物的にも限界だったろう。
準備はこんなところかな。
朝早い時間だったので無理なく起きられるように
4月は超早寝早起きで夜中の2時とかが
起床時間だったりしたことも準備と言えば準備。
その他この時期は何か色々と普段は有り得ないことが
起きていたようなもうあんまり覚えていないような
だったので何か思い出したら追記するかも。
まずはずっと言っているけどドイツ語から。
これは春先に大学から
留学生博士課程在学者向けドイツ語コースが開かれるとの
メールを受け取っていたのでそれに参加していた。
随分前から存在は知っていたのだが、
学部に張り出されるのはいつも学期が始まってから
しばらく経った後で、途中参加するものなあ、
ってくらいになってやっと気づくとか
そんな感じだったのでこれまで参加したことがなかった。
今回はメールで開始時期も分かったし、
背に腹もかえられないような状況だったので。
週一、正味1時間半、でもやらないよりはマシか。
ただコースの開始は4月も半ばを過ぎてからだったので
口頭試問まで3回かな、それくらいの回数。
原稿読みの練習も録音20分にそれを聞くの20分で、
結構これも時間かかるからあまりそれ以上の
ドイツ語練習は出来なかったというのが実際のところだった。
当初の3ヶ月計画を1ヵ月に縮めなくてはならない
しわ寄せが一番出てしまったところ。
後は原稿は配布用と自分が読み上げる用の2パターン容易。
配布用は初期のものに近い削っていないもの、
読み上げ用はそれに読まない所を横線で消したもの。
そうすると接続詞とか語順が変わったりするのだが、
段落毎の位置を両方で合わせて置く。
これが細かい技だが非常に本番では功を奏した。
どの教授も何ページのここのところだけど、
と配布した原稿を元に質問してきたから。
一々、え、どこですか、ああ、自分のだと、
とか間誤付いているとそれだけでまどろっこしくなったろう。
これは論文提出の時と同じ学部の目の前に店を構えた
印刷屋にテーゼ共々メールで送って、そこで印刷した。
20部刷ったけど10部も要らなかった。
身だしなみ。
学期が始まる前散髪。
また自分でやったのだが、横と後ろを短くし過ぎて、
最初ぶち猫みたいになった。
やり直したらバリカンの刃が欠けるし充電切れるし、
友人いわくモヒカンみたいになったとのこと。
先述のドイツ人の友人に言わせると「今風」。
なってねーよ。失敗だよ。
でもそのまま1ヵ月。
後はスーツ。8年ぶりくらい。やっと出番が来た。
穴とか開いてるんじゃないかと不安だったので、
練習も兼ねて試験の週はこれを着ていた。
持ち物。
原稿のコピーと部屋の準備のため
1時間から1時間半前に大学に到着。
原稿はA4紙両面4ページ、これをホッチキスで止める。
原稿は印刷屋にメール。その日の朝方。
メールが上手く届かなかった事態も考慮して
USBスティックでも持っていった。
途中で学生が入ってこないよう、
口頭試問中だということが分かるような張り紙。
これは大学の掲示板に張り出され、
自分や各教授にも郵送された日程受理の時の手紙、
これを持っていった。貼り付けるためのセロテープとともに。
部屋の机と椅子の整頓。
場合によっては黒板に何か書くこともありうるので
黒板を消して、チョークの存在も確認。
なかったらどっかからパクって来る算段だった。
朝一の時間帯だったので窓を開けて空気を入れ替える。
そうしたらその日は暑かったので
でっかいスズメバチが乱入してきた。
自分の荷物は狙われたが自分は幸い狙われなかった。
上手いこと窓の所に来たときに閉めつつ閉め出した。
ちょっとこれに予想外の時間を食われ先が思いやられた。
ともあれ持ち物。
その他に4冊の本と2冊分のコピー。
これは質問に出てきそうなところだったので。
結局出てこなかったけれど。
後、来そうな質問を予め想定し用意した回答集。
これも使わなかったけれどA4で5,6枚くらいかな。
後引用に役立ちそうな本からのコピー数枚。
それと博士課程の規定。何かあったときのため。
主に落ちた時のためか。
これにもちろん自分の論文。
こんなところがリュックの中身。
これに普段から入っているものとか眼鏡とか電子辞書、
と結構重い荷物になった。
が、さらに、水。
500mlペットボトル人数(5プラス自分用)分に予備の7本、
これと前日1ユーロショップで買ってきたプラスチックコップを
ケースに入れて手持ち。
実は荷物の持ち運びだけでかなりしんどかった。
自由大は駅から歩かないといけないし。
最初はコーヒーも用意しようかと思ったが、
それ用にポットを買うのはさすがに面倒だった。
荷物的にも限界だったろう。
準備はこんなところかな。
朝早い時間だったので無理なく起きられるように
4月は超早寝早起きで夜中の2時とかが
起床時間だったりしたことも準備と言えば準備。
その他この時期は何か色々と普段は有り得ないことが
起きていたようなもうあんまり覚えていないような
だったので何か思い出したら追記するかも。
2012年5月13日日曜日
原稿の話
原稿は細かい所まで含めると
試験前日か前々日まで手直しを加えていたが、
大まかな形としては日程が公式に確定した時期
くらいまでには完成していた。
だから3週間前くらいってことになるだろうか。
そこからは印刷→チェック→読み上げ→手直し、
これを1日1サイクル。
朝に原稿を印刷、午前中にチェック、
午後から夕方にかけてそれをパソコンに
ヘッドセットつなげて録音→録音したのを聞く、
を何セットか行い、音読の練習。
そこで見つけた誤字脱字やカット出来そうな部分のカット。
そんな感じで。
他は取り立てて書く事もないけれど、
今回特別だったのは三番目の工程、やはり。
自分で読み上げたものを自分で聞くことの意味は
もちろん原稿のチェック、そしてそれ以上に
自分のドイツ語の発音のチェック、
読み上げにかかる時間のチェック、と様々。
原稿のチェック自体は黙読でも可能な事を考えると、
やはり最後の2つの要素がより大きな意義を持っていた。
まず発音。
そもそも何でヘッドセット(ヘッドホン+マイク)を
持っているかと言うと、ドイツ語学習ソフトで使うため。
音声入力すると比較して採点してくれたりするやつ。
4月はそれもちょっとやったけれど、
やがて時間は原稿の方にばかり取られる様になってしまった。
それはともかく、そういう学習ソフトの時は
お手本となる発音を最初に向こうがしてくれるからなのか、
自分のした発音が比較のために再生されても
それなりに「聞ける」ものだった。
日本語訛りは全然抜けていないけれど。
それとこの原稿読み上げとの違いはお手本となる
発音やイントネーションが存在しないということ。
一番最初に録音した自分の声を聞いた時、
全然何言っているか分からなかった(笑。
日本語訛りですらなかった。
日本人とドイツ語で話していても、ん?って
反応されることが多々あるわけだが、理由が分かった。
どう表現していいか分からないけれど、
ドイツ語訛りの日本語訛りのドイツ語、あるいは、
日本語訛りのドイツ語訛りのドイツ語なのか、
要するに一段階複雑化して文字通り「独語」になっていた。
おいおいおい、と思ったが、
回数を重ねる毎にきちんと日本語訛りの
ドイツ語っぽくなっていった。
いや、ドイツ語っぽくもなっていたかも。
自分では分からないけれど。
過去何回か、書き字をそのまま読んだ、
一文がやたら長かったり関係代名詞等で複雑な
構造になっていたりする講演を聞いていて、
こういうのは止めようと思っていた。
一文は出来るだけ短くして、切って、
関係代名詞・関係副詞は真ん中に挿入せず、
最初か最後の分かりやすい位置にのみ使うようにして、
とやっていったら、読む方もそれなりに改善された。
それでも本番は緊張して指は震えていたから
声も震えていたのではと思うし、
口が渇いて喋り辛いことこの上なかったけれど、
練習しておいて本当に良かった。
原稿も軽く10度くらいバージョンアップしておく、
それくらいやっておいて正解だったと思う。
そして時間。
最初は3000語あったわけで、見事に25分以上かかった。
自分で書いた文章だとは言え、
声に出して読んでみると結構つっかえるものだし、
そんなに早くも読んではいなかった。
まずはスラスラと、かつ出来る限り早いスピードで
原稿を読めるようになることが目標だった。
でもそう時間はかからず、多分3回目かそこらで
よしもう一度聞いてみようと思える吹き込みを行えたと思った。
聞いてみた。
確かにつっかえは減っていたが、
つっかえた所で舌打ちする癖があることが判明した。
これは直しておこうと思った。
まあそれは二次的な話。
録音を聞いてみて思ったのは、
早口で喋った積もりで実際には全然早くなかったということ。
割と普段聞く普通のスピードで、
日常の砕けたドイツ語は砕けた分もっと早い。
つまり自分のはかなり遅いのだ。
その後原稿の手直しが進み、原稿そのものにも慣れ、
音読のスピードも多少上がりはしたが、
劇的にスピードアップが図れたという気はしていない。
どちらかと言うと1つのパラグラフをバッサリ削ったり、
そもそもの原稿の分量を少なくすることによって
時間短縮になっていったように思う。
そんなこんなを毎日繰り返して
最終的には自分がそこそこ早口で読んで
安定して20分弱になる長さにした。
本番ではつっかえたりして
20分をオーバーするだろうとは容易に推測できたが、
それはもう仕方がないことと考えることにした。
審査委員5人の内4人とは面識があって、
いずれも20分過ぎたから規定違反失格とか
せこい事を言い出すような人では決してない。
内容もよく分からないものになってしまうよりは
長くなっても内容が伝わればそっちの方がいいかな、と。
こうして次回はその他の(必然ではない、
どちらかというと個人的な)準備の話。
試験前日か前々日まで手直しを加えていたが、
大まかな形としては日程が公式に確定した時期
くらいまでには完成していた。
だから3週間前くらいってことになるだろうか。
そこからは印刷→チェック→読み上げ→手直し、
これを1日1サイクル。
朝に原稿を印刷、午前中にチェック、
午後から夕方にかけてそれをパソコンに
ヘッドセットつなげて録音→録音したのを聞く、
を何セットか行い、音読の練習。
そこで見つけた誤字脱字やカット出来そうな部分のカット。
そんな感じで。
他は取り立てて書く事もないけれど、
今回特別だったのは三番目の工程、やはり。
自分で読み上げたものを自分で聞くことの意味は
もちろん原稿のチェック、そしてそれ以上に
自分のドイツ語の発音のチェック、
読み上げにかかる時間のチェック、と様々。
原稿のチェック自体は黙読でも可能な事を考えると、
やはり最後の2つの要素がより大きな意義を持っていた。
まず発音。
そもそも何でヘッドセット(ヘッドホン+マイク)を
持っているかと言うと、ドイツ語学習ソフトで使うため。
音声入力すると比較して採点してくれたりするやつ。
4月はそれもちょっとやったけれど、
やがて時間は原稿の方にばかり取られる様になってしまった。
それはともかく、そういう学習ソフトの時は
お手本となる発音を最初に向こうがしてくれるからなのか、
自分のした発音が比較のために再生されても
それなりに「聞ける」ものだった。
日本語訛りは全然抜けていないけれど。
それとこの原稿読み上げとの違いはお手本となる
発音やイントネーションが存在しないということ。
一番最初に録音した自分の声を聞いた時、
全然何言っているか分からなかった(笑。
日本語訛りですらなかった。
日本人とドイツ語で話していても、ん?って
反応されることが多々あるわけだが、理由が分かった。
どう表現していいか分からないけれど、
ドイツ語訛りの日本語訛りのドイツ語、あるいは、
日本語訛りのドイツ語訛りのドイツ語なのか、
要するに一段階複雑化して文字通り「独語」になっていた。
おいおいおい、と思ったが、
回数を重ねる毎にきちんと日本語訛りの
ドイツ語っぽくなっていった。
いや、ドイツ語っぽくもなっていたかも。
自分では分からないけれど。
過去何回か、書き字をそのまま読んだ、
一文がやたら長かったり関係代名詞等で複雑な
構造になっていたりする講演を聞いていて、
こういうのは止めようと思っていた。
一文は出来るだけ短くして、切って、
関係代名詞・関係副詞は真ん中に挿入せず、
最初か最後の分かりやすい位置にのみ使うようにして、
とやっていったら、読む方もそれなりに改善された。
それでも本番は緊張して指は震えていたから
声も震えていたのではと思うし、
口が渇いて喋り辛いことこの上なかったけれど、
練習しておいて本当に良かった。
原稿も軽く10度くらいバージョンアップしておく、
それくらいやっておいて正解だったと思う。
そして時間。
最初は3000語あったわけで、見事に25分以上かかった。
自分で書いた文章だとは言え、
声に出して読んでみると結構つっかえるものだし、
そんなに早くも読んではいなかった。
まずはスラスラと、かつ出来る限り早いスピードで
原稿を読めるようになることが目標だった。
でもそう時間はかからず、多分3回目かそこらで
よしもう一度聞いてみようと思える吹き込みを行えたと思った。
聞いてみた。
確かにつっかえは減っていたが、
つっかえた所で舌打ちする癖があることが判明した。
これは直しておこうと思った。
まあそれは二次的な話。
録音を聞いてみて思ったのは、
早口で喋った積もりで実際には全然早くなかったということ。
割と普段聞く普通のスピードで、
日常の砕けたドイツ語は砕けた分もっと早い。
つまり自分のはかなり遅いのだ。
その後原稿の手直しが進み、原稿そのものにも慣れ、
音読のスピードも多少上がりはしたが、
劇的にスピードアップが図れたという気はしていない。
どちらかと言うと1つのパラグラフをバッサリ削ったり、
そもそもの原稿の分量を少なくすることによって
時間短縮になっていったように思う。
そんなこんなを毎日繰り返して
最終的には自分がそこそこ早口で読んで
安定して20分弱になる長さにした。
本番ではつっかえたりして
20分をオーバーするだろうとは容易に推測できたが、
それはもう仕方がないことと考えることにした。
審査委員5人の内4人とは面識があって、
いずれも20分過ぎたから規定違反失格とか
せこい事を言い出すような人では決してない。
内容もよく分からないものになってしまうよりは
長くなっても内容が伝わればそっちの方がいいかな、と。
こうして次回はその他の(必然ではない、
どちらかというと個人的な)準備の話。
テーゼと原稿の話
テーゼなんだけど、完成後ドイツ人の友人に見てもらった。
彼は僕の論文の方も読んでいる。
返事はもうそれはというくらいボッコボコ。
10個に満たない文しかないのに。
これは爆笑した。
一言でまとめるとテーゼとして「弱い」のだそうだ。
ひるむな、とか書いてあって、うぇ?って話。
論文の方のインパクトが強すぎて、
テーゼの方だってちょっと冷静に考えてみると
どの文もそれ一つでかなりとんでもな話になっている
はずなのだが、もっと凄いのを期待されていたらしい。
論文の中から直接そのまま引き抜いてきたって
もっといいテーゼがいくらでもある、とか叱咤激励されても
ちょっと論文の構成上からしても難しい注文だった。
というのも、自分の論文は結論ありきでそれを
証明すべく証拠を挙げていくという書き方ではなく、
推論を展開していく書き方。
それも結論をかなり多方向に向けて展開していったので、
一つ一つのテーマに関してこれだけ、という結論が
あるわけではなかったから。
一番初めの部分はもちろんテーゼにならないとしても、
結論全体として一般化したものをテーゼにしようとすると、
どうしても抽象的になって、そこから説明を加えていく形になる。
だからどうしてもテーゼは弱く見えるものになってしまう。
さてどうしたものか、原稿と一緒に書き直しか?と思ったが、
論文を(割としっかり)読んだ人間に対する発表と、
そこまででない(多分しっかり読んだのは主査の
教授だけだと推測)人にいわば予備知識なしに
ガッツリ浴びせかけるような発表は違うんでないか、
みたいな話をしたら、ああ、そういえば誰に対する
発表なのかも重要だな、忘れてた、みたいな返事をもらった。
おい。
危ない危ない。
まあでもちょっといいアイデアが浮かんで、
テーゼの頭にそのテーゼの立ち位置的な記号を付けたら、
結構誰にとっても通りのよいものとなるのでは、と気づいた。
それでこの問題は解決した。
原稿の方だが、これは最初から当日に配るつもりでいた。
内容というより自分のドイツ語の発音の悪さから理解されない
という恐れが十二分にあったため。
15分から20分で終わる分量に収める必要がある。
一通り書き終わった段階でこれでもかというほど
3000語に近い分量だった。
ちなみにネイティブのドイツ人が非常に早口に喋って
分当たり200語なのだそうだ。
ネイティブじゃなく、かつドイツ語がままならない人間なら
どうあがいても100語から150語だと踏んで、
なおかつ哲学(に限らず学術用語は特に、
そしてドイツ語は日本語の様に言葉を連結させることが出来、
東京特許許可局じゃないけど、一単語が長くなる場合がある)
の言葉を使うとなるとこれはかなり多め。
いかにして、あるいはどこを、削るかという勝負になった。
最終的には2200か2300くらいの分量になったが、
多分本番ではかなり規定時間をオーバーしたのではと思う。
終わってから無理なくこなせるのは1500語くらいだと思った。
作っている時はそんな事は分からなかったので、
3000語、論理的にきっちり展開させた分、
削ったら飛躍が出てしまうことがジレンマだった。
具体例みたいなのはほぼカットした。
普通だったらいかに自分の業績が大したものなのか
その意義をアピールするところなのかもしれないが、
誰からも難しいと言われる論文だったので
いかに簡単なのか、単純なアイディアに基づいているのか、
という点を強調して少しでも理解を得ようと自己言及文は
書いたが、そういうのもほぼ全カットだった。
これを読んで直して印刷し直して、を繰り返すこと10数回かな。
これは次回の話にしよう。
彼は僕の論文の方も読んでいる。
返事はもうそれはというくらいボッコボコ。
10個に満たない文しかないのに。
これは爆笑した。
一言でまとめるとテーゼとして「弱い」のだそうだ。
ひるむな、とか書いてあって、うぇ?って話。
論文の方のインパクトが強すぎて、
テーゼの方だってちょっと冷静に考えてみると
どの文もそれ一つでかなりとんでもな話になっている
はずなのだが、もっと凄いのを期待されていたらしい。
論文の中から直接そのまま引き抜いてきたって
もっといいテーゼがいくらでもある、とか叱咤激励されても
ちょっと論文の構成上からしても難しい注文だった。
というのも、自分の論文は結論ありきでそれを
証明すべく証拠を挙げていくという書き方ではなく、
推論を展開していく書き方。
それも結論をかなり多方向に向けて展開していったので、
一つ一つのテーマに関してこれだけ、という結論が
あるわけではなかったから。
一番初めの部分はもちろんテーゼにならないとしても、
結論全体として一般化したものをテーゼにしようとすると、
どうしても抽象的になって、そこから説明を加えていく形になる。
だからどうしてもテーゼは弱く見えるものになってしまう。
さてどうしたものか、原稿と一緒に書き直しか?と思ったが、
論文を(割としっかり)読んだ人間に対する発表と、
そこまででない(多分しっかり読んだのは主査の
教授だけだと推測)人にいわば予備知識なしに
ガッツリ浴びせかけるような発表は違うんでないか、
みたいな話をしたら、ああ、そういえば誰に対する
発表なのかも重要だな、忘れてた、みたいな返事をもらった。
おい。
危ない危ない。
まあでもちょっといいアイデアが浮かんで、
テーゼの頭にそのテーゼの立ち位置的な記号を付けたら、
結構誰にとっても通りのよいものとなるのでは、と気づいた。
それでこの問題は解決した。
原稿の方だが、これは最初から当日に配るつもりでいた。
内容というより自分のドイツ語の発音の悪さから理解されない
という恐れが十二分にあったため。
15分から20分で終わる分量に収める必要がある。
一通り書き終わった段階でこれでもかというほど
3000語に近い分量だった。
ちなみにネイティブのドイツ人が非常に早口に喋って
分当たり200語なのだそうだ。
ネイティブじゃなく、かつドイツ語がままならない人間なら
どうあがいても100語から150語だと踏んで、
なおかつ哲学(に限らず学術用語は特に、
そしてドイツ語は日本語の様に言葉を連結させることが出来、
東京特許許可局じゃないけど、一単語が長くなる場合がある)
の言葉を使うとなるとこれはかなり多め。
いかにして、あるいはどこを、削るかという勝負になった。
最終的には2200か2300くらいの分量になったが、
多分本番ではかなり規定時間をオーバーしたのではと思う。
終わってから無理なくこなせるのは1500語くらいだと思った。
作っている時はそんな事は分からなかったので、
3000語、論理的にきっちり展開させた分、
削ったら飛躍が出てしまうことがジレンマだった。
具体例みたいなのはほぼカットした。
普通だったらいかに自分の業績が大したものなのか
その意義をアピールするところなのかもしれないが、
誰からも難しいと言われる論文だったので
いかに簡単なのか、単純なアイディアに基づいているのか、
という点を強調して少しでも理解を得ようと自己言及文は
書いたが、そういうのもほぼ全カットだった。
これを読んで直して印刷し直して、を繰り返すこと10数回かな。
これは次回の話にしよう。
2012年5月12日土曜日
テーゼを書く
昨日挙げた必然的に果たさねばならないことのその2。
テーゼ。要するに論文の要約。
中身をどうするかはちょっと面倒な話になるので、
先に簡単に話が片付く形式の面から。
口頭試問の8日前までに各教授と試験担当局に
届け出なければならないのは昨日書いた通り。
当初は3ヶ月見て無理なく(=他の事もしつつ)やろうと
思っていたのが1ヵ月になったものの、
時間的にかなり余裕はあった。書く分には。
日程決めや部屋決めの終わる頃には書き上がっていた。
口頭試問は最初に規定では15分、
教授が規定を勘違いしていたのをいいことに20分、
自分が論文の要旨を述べる時間が与えられる。
そのためのレジュメみたいなのを作るだけ。
きちんと文章みたいなのを書く人もいれば、
自分みたいに文字通りテーゼ、文だけ提示する人も
これは自分だけかもしれないが、いる。
図みたいなのも添えてA4紙両面で1枚。
ある教授の秘書の人に渡した時、
これはいいわね、中にはこんなどっさり
書いてくる人もいるのよ、と論文本体並みの厚さを
ジェスチャーで表してくれていたが、
それは例外中の例外だと思う。
以前他の人の口頭試問を様子見した時もA4一枚だった。
これは試験の当日には見に来た人にも配るのが
ちょっとしたマナーのようなものなので、
そんなに多く書いても。そもそも20分じゃ終わらないし。
ただ、それと平行する形で当日に読み上げる
原稿も書かねばならない。
そして実際的な話、その原稿が発表の本体なので
そっちが変わってしまうと当然テーゼの方も変わりうる。
そんなわけで一通り完成したのは早かったが、
提出はやはり時間期限一杯まで粘ることにした。
もちろん期限当日に出したりすると、
何かあったときに間に合わなくなるため、
一日前に、と、その日はメーデーで祝日。
そのさらに前日に提出。
が、その日は日曜とメーデーに挟まった日だからなのか、
試験担当局に話が通じなかった。
だから試験担当局にメールでテーゼを送ったものの、
それが受理されたと返事をもらったのは2日の正午くらい。
またここでもちょっと気を揉んだ。
というか、その日は試験担当局が
午後しか開いていない日だったので、
時間に合うように家を出て、
図書館のパソコンでメールのチェックをして
受理されたという通知を見たのだった。
メールが来ていなかったら直接掛け合えるように、
と準備して行ったわけ。一応に一応。
話が長くなったので中身の話は明日。
テーゼ。要するに論文の要約。
中身をどうするかはちょっと面倒な話になるので、
先に簡単に話が片付く形式の面から。
口頭試問の8日前までに各教授と試験担当局に
届け出なければならないのは昨日書いた通り。
当初は3ヶ月見て無理なく(=他の事もしつつ)やろうと
思っていたのが1ヵ月になったものの、
時間的にかなり余裕はあった。書く分には。
日程決めや部屋決めの終わる頃には書き上がっていた。
口頭試問は最初に規定では15分、
教授が規定を勘違いしていたのをいいことに20分、
自分が論文の要旨を述べる時間が与えられる。
そのためのレジュメみたいなのを作るだけ。
きちんと文章みたいなのを書く人もいれば、
自分みたいに文字通りテーゼ、文だけ提示する人も
これは自分だけかもしれないが、いる。
図みたいなのも添えてA4紙両面で1枚。
ある教授の秘書の人に渡した時、
これはいいわね、中にはこんなどっさり
書いてくる人もいるのよ、と論文本体並みの厚さを
ジェスチャーで表してくれていたが、
それは例外中の例外だと思う。
以前他の人の口頭試問を様子見した時もA4一枚だった。
これは試験の当日には見に来た人にも配るのが
ちょっとしたマナーのようなものなので、
そんなに多く書いても。そもそも20分じゃ終わらないし。
ただ、それと平行する形で当日に読み上げる
原稿も書かねばならない。
そして実際的な話、その原稿が発表の本体なので
そっちが変わってしまうと当然テーゼの方も変わりうる。
そんなわけで一通り完成したのは早かったが、
提出はやはり時間期限一杯まで粘ることにした。
もちろん期限当日に出したりすると、
何かあったときに間に合わなくなるため、
一日前に、と、その日はメーデーで祝日。
そのさらに前日に提出。
が、その日は日曜とメーデーに挟まった日だからなのか、
試験担当局に話が通じなかった。
だから試験担当局にメールでテーゼを送ったものの、
それが受理されたと返事をもらったのは2日の正午くらい。
またここでもちょっと気を揉んだ。
というか、その日は試験担当局が
午後しか開いていない日だったので、
時間に合うように家を出て、
図書館のパソコンでメールのチェックをして
受理されたという通知を見たのだった。
メールが来ていなかったら直接掛け合えるように、
と準備して行ったわけ。一応に一応。
話が長くなったので中身の話は明日。
2012年5月11日金曜日
口頭試問まで
多分1ヵ月前に書いたことだけど、
口頭試問の日程を3月の末まで探していたわけ。
主査・副査の2人+3人の審査員、
計5人の日程を合わせる必要があったのだけど、
ドイツの教授陣ってのはただでさえ忙しい上に
講演のための短期旅行なんかもちょくちょくあって、
今回に至っては5月末から7月末まで丸2ヶ月在外、
ってな人もいたりして、自分では適当な日程が見つからなかった。
そのことを3月27日に主査の教授に言ったら
一肌脱いでくれるって話になった。
そしてそうなると決まらなかったことはない、
とここまでは話したと思う。
で、実際に3月28日に協議を開始したとか何とか、
そして4月の2日に見事に日程が見つかった、
との連絡を頂いた。
で、その日程というのが5月10日。
3月28日の連絡の段階で5月か6月になるだろう
という話をちらっとだけしていたが、5月も頭になろうとは。
口頭試問前に果たさなければならないことを3つに分けてみる。
大筋2つ。必然的に行わなければならない事と
必然ではないがやっておくのがベター、というか
むしろ規則にないだけでほとんどやらざるをえない事、
でもまあ必然ではないのでどうしても
という場合にはカット出来る事。
で、前者はオフィシャルにという事と
個人的にという事に分けられる。
オフィシャルに果たさねばならないのは、
1.日程を試験担当局に届け出ること。
これは試験の3週間前までに届け出ねばならない。
2.テーゼを各教授及び試験担当局に提出すること。
これは試験の8日前までが期限。
日程が決まったのは1ヵ月前、厳密には5週間前。
上の内1番の期限まで2週間しかないという。
まあもちろん日程が決まったその日に
試験担当局に連絡した。
が、届出には日時だけでなく場所の指定も必要だとの返事。
要はその日時に空いている部屋を探してこないといけない。
とりあえず自力でやった。
これまで講義やゼミが行われた建物で
指定の時間に空いている部屋を全検索した。
というか足で探索した。
いくつかあったのでどこがいいか主査の教授に伺いを立ててみた。
どこでもいいっちゃいいみたいな話だったが、
空いている部屋の確保が必要なのだそうだ。
確かにそうでないと別の催し物が入ったり、
最悪の場合には講義やゼミの部屋移動をされたりするから。
で、この部屋の確保は学部の秘書の方が権限を持っている。
そんなわけでそこに行って確保してもらった。
最初メールを打ったが、金曜で、この日は仕事しないらしいな。
土日はもちろんしない。でも3日過ぎてしまうわけで。
もしも月曜も返事がなかったら、と考えると危険だったので
念のためにも月曜は朝一でその担当の秘書の人の
ところへ行ったり、と別にここに限らないが色々気を揉んだ。
おまけに今年は復活祭もこの時期に重なっていた。
よりにもよって。
復活祭の週は金、日、月曜が祝日になるため、
話は進まない。
そんなこんなで日程の届出はギリギリだった。
確か期限前日とか、そのくらいになってしまったと思う。
で、届出を受領したという返事が来たのは
期限の日だったんじゃないかな、多分。
きちんとした書面として数日後郵送されてきた時は
もう三週間は切っていた。
いやはややれやれ。
続く。
口頭試問の日程を3月の末まで探していたわけ。
主査・副査の2人+3人の審査員、
計5人の日程を合わせる必要があったのだけど、
ドイツの教授陣ってのはただでさえ忙しい上に
講演のための短期旅行なんかもちょくちょくあって、
今回に至っては5月末から7月末まで丸2ヶ月在外、
ってな人もいたりして、自分では適当な日程が見つからなかった。
そのことを3月27日に主査の教授に言ったら
一肌脱いでくれるって話になった。
そしてそうなると決まらなかったことはない、
とここまでは話したと思う。
で、実際に3月28日に協議を開始したとか何とか、
そして4月の2日に見事に日程が見つかった、
との連絡を頂いた。
で、その日程というのが5月10日。
3月28日の連絡の段階で5月か6月になるだろう
という話をちらっとだけしていたが、5月も頭になろうとは。
口頭試問前に果たさなければならないことを3つに分けてみる。
大筋2つ。必然的に行わなければならない事と
必然ではないがやっておくのがベター、というか
むしろ規則にないだけでほとんどやらざるをえない事、
でもまあ必然ではないのでどうしても
という場合にはカット出来る事。
で、前者はオフィシャルにという事と
個人的にという事に分けられる。
オフィシャルに果たさねばならないのは、
1.日程を試験担当局に届け出ること。
これは試験の3週間前までに届け出ねばならない。
2.テーゼを各教授及び試験担当局に提出すること。
これは試験の8日前までが期限。
日程が決まったのは1ヵ月前、厳密には5週間前。
上の内1番の期限まで2週間しかないという。
まあもちろん日程が決まったその日に
試験担当局に連絡した。
が、届出には日時だけでなく場所の指定も必要だとの返事。
要はその日時に空いている部屋を探してこないといけない。
とりあえず自力でやった。
これまで講義やゼミが行われた建物で
指定の時間に空いている部屋を全検索した。
というか足で探索した。
いくつかあったのでどこがいいか主査の教授に伺いを立ててみた。
どこでもいいっちゃいいみたいな話だったが、
空いている部屋の確保が必要なのだそうだ。
確かにそうでないと別の催し物が入ったり、
最悪の場合には講義やゼミの部屋移動をされたりするから。
で、この部屋の確保は学部の秘書の方が権限を持っている。
そんなわけでそこに行って確保してもらった。
最初メールを打ったが、金曜で、この日は仕事しないらしいな。
土日はもちろんしない。でも3日過ぎてしまうわけで。
もしも月曜も返事がなかったら、と考えると危険だったので
念のためにも月曜は朝一でその担当の秘書の人の
ところへ行ったり、と別にここに限らないが色々気を揉んだ。
おまけに今年は復活祭もこの時期に重なっていた。
よりにもよって。
復活祭の週は金、日、月曜が祝日になるため、
話は進まない。
そんなこんなで日程の届出はギリギリだった。
確か期限前日とか、そのくらいになってしまったと思う。
で、届出を受領したという返事が来たのは
期限の日だったんじゃないかな、多分。
きちんとした書面として数日後郵送されてきた時は
もう三週間は切っていた。
いやはややれやれ。
続く。
1ヵ月と一週間ぶりの更新
まあ、待たせたな、ってことで。
今日5月10日、博士課程の口頭試問が行われ、
結果をズバッと言っちゃうと合格したわけだ、これが。
何やかんやとやっている内に博士号を手に入れたよ。
何やかんややっていたのは口頭試問の内の話で、
実に7年かかっていたわけではあるけど。
日程が急に決まったってのもあって、
この一ヶ月は本当に色々あった。
もう何か全部なんか覚えていないけれど、
ちょいちょいと次回辺りから振り返っていこうと思う。
自分のドイツ語能力を鑑みるに落ちる落ちる言っていたけれど、
帰国の準備もちょっとは進めていたわけでもあり、
そういう今後の話も含めて。
今日は口頭試問の感想を手短に。
ドッと疲れたしドッと凹みもした。
受かったという実感も喜びも正直言うとあまりわいていない。
やり遂げた感もない。
まあでもそれは高校受験の時からずっとか。
そしてそのくらいの方が喧嘩にもならず、
穏便かつ円滑な口頭試問の進行には
良かったのかもとは思うけれども。
持てる情熱の全ては書く方に費やしたので
そういう意味で心に余裕はあった。
ドイツ語には全く余裕はなかった。
質問が分からないのに答えねばならない的な
無理難題だったと思う。
自分で自分に課した事だとはいえ。
一週間くらいは学校を休んで自宅静養しようかな。
この一ヶ月読めなかった本を読むだけだろうけど。
まあそんなこんなで日本語も解禁。
何かあったらメールか何かでどうぞ。
今日5月10日、博士課程の口頭試問が行われ、
結果をズバッと言っちゃうと合格したわけだ、これが。
何やかんやとやっている内に博士号を手に入れたよ。
何やかんややっていたのは口頭試問の内の話で、
実に7年かかっていたわけではあるけど。
日程が急に決まったってのもあって、
この一ヶ月は本当に色々あった。
もう何か全部なんか覚えていないけれど、
ちょいちょいと次回辺りから振り返っていこうと思う。
自分のドイツ語能力を鑑みるに落ちる落ちる言っていたけれど、
帰国の準備もちょっとは進めていたわけでもあり、
そういう今後の話も含めて。
今日は口頭試問の感想を手短に。
ドッと疲れたしドッと凹みもした。
受かったという実感も喜びも正直言うとあまりわいていない。
やり遂げた感もない。
まあでもそれは高校受験の時からずっとか。
そしてそのくらいの方が喧嘩にもならず、
穏便かつ円滑な口頭試問の進行には
良かったのかもとは思うけれども。
持てる情熱の全ては書く方に費やしたので
そういう意味で心に余裕はあった。
ドイツ語には全く余裕はなかった。
質問が分からないのに答えねばならない的な
無理難題だったと思う。
自分で自分に課した事だとはいえ。
一週間くらいは学校を休んで自宅静養しようかな。
この一ヶ月読めなかった本を読むだけだろうけど。
まあそんなこんなで日本語も解禁。
何かあったらメールか何かでどうぞ。
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