昨日水曜の講義をもって今学期の公式な日程は終了、
形式上は夏休みに入った。
今月末まではまだ色々用事や人付き合いもあるため、
カレンダーの予定表は埋まっていて、
その後は来学期までに千ページの本を2冊、
最低でも読まないといけないとか、
自分のこともやっておかねばならないし、とか、
またこの夏も合宿というか、来(学)期に備えたキャンプだな(笑。
論文を渡して、自分のことをかなり高く買ってくれた人がいた、
という話を前にしたと思うが、その人と昨日は講義の後で談話。
前に渡したのはPDFだったのだが、
人に渡す用に余分に印刷製本した分がまだ残っているので、
そっちが希望ならお渡ししますよ、と言ったら、是非、と。
それを渡すだけの積もりだったのだが、
そこから約1時間半、まあ、ほとんど向こうが喋っているだけだったが、
とにかくまくしたてられた。
論文の内容から使っている独特な表記法といったことまで、
自分の論文を自分で解説するというのは、
何か自分の手品の種明かしを自分でしているというか、
自分のギャグの面白さを自分で解説しているというか、
そんな何とも言えない気持ちになるな、と思いつつ。
相手は自称「情報学者」らしいのだが、
明らかにただの情報学だけやっている人とは違って、
哲学を始めその他の学問に造詣が深い。
ヘーゲルにしても自分よりも詳しいだろう。
ハイデガーがこの言葉を使っているのは見たことがない、
と言えるくらいだから、著作の大半をカバーしているのだろう。
ドゥルーズにしても自分の知らない著作から引き合いが出てきた。
万事がこの調子である。
一般教養にしてもどうやら一番好きなのは舞台なようだったが、
文学から音楽まで、古典から現代的なものに至るまで、
出てくる言葉を追うだけでも
一般教養の素養がない自分にはかなり大変なレベル。
適当にごまかしつつ聞いていた。
かと思えば話が現代数学の集合論に飛んでいたり、
内容も分からないが、ドイツ語のタームも分からん、という。
そんな彼なので物事をとても劇的、ドラマチック、
あるいは有り体に言って、大袈裟に表現・評価するし、してくれる。
自分の論文をこっちの学会のドン達、
ヘーゲル、あるいはその枠を越えてもそれなりに名前が知られている
研究・解釈の大家、挙句にはそれこそ有名な哲学者と比較され、
恥ずかしいやら何やら。
まあ、確信犯だけどね。‥うそうそ(笑。
少なくともその誇張されていそうな部分は差し引いて受け取っておこう。
身に余る光栄は文字通り身に余るのであるから。
ああ、そういえば、献呈の辞に日付入りのサインといった、
一端の著述家まがいのこともさせられた。
自分にとってはまず何を書いたらいいのかも分からない
習慣だったのだけれど。
さて、それでは今日の図書館での仕事は一つ追加。
件のハイデガーの言葉がどこでどういう
使われ方をしたのか調べてこようと思う。
哲学をやっていると、普通に話していても、
ん?ってされることがちょくちょくある。
自分が普通だと思って使った単語や表現が
実はまったく日常言語ではなかったり、
あるいは古くてもう廃れたものであったり、ということが原因。
哲学をやっている人間同士の間でも、
自分はそれなりに重要視して、
他の人も使っているのを見たことがあるぞ、という概念を話しても、
人によってはそんな概念初めて聞いた、
とかっていう反応をされることは結構ある。
どこで?とか言われて、パッと答えられたら
それはそれで格好良さそうなものだが、
そんなん一々覚えてないからなあ。
いや覚えておくべきなのだろうけれど(苦笑。
ただ、ある人がそうだという場合、
別の人もそうだという可能性はかなり高いわけで、
となると口頭試問でも同じ質問が来る可能性はある。
だからそれについての解答を作っておくことは
ひょっとすると後々役に立つかもしれない。
そんなこんな。
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