週一でポストに入ってくる無料タウン紙からのニュースより。
先週、自分の住んでいるレオポルド・プラッツより
北西に2駅行ったレーベルゲという地域で、
通りの名前を書いたプレートの上にシールか何かを
貼って、いくつもの通りの名前が書き換えられる
という事件があった。
それらは市当局によって即座に撤去され、
元の戻されたという。
今回はそんな話。
自分が住んでいるこの近辺、
広い地域名でヴェディングというが、
このヴェディングには外国の国名・都市名を
名前に使った通りが多数存在する。
例えばレオポルド・プラッツから北東へ2駅、
そこはオスローアー・シュトラーセ。オスロである。
それ以外にもブリュッセル、ユトレヒト、
トリノ、アムステルダム、イラン、ハンガリー
‥挙げていったら切りがない。
そんな中、アフリカ関連の名前が集中している
場所があって、そこは「アフリカ地区」と
呼ばれているのだそうだ。
そんな呼び方があることは
そのニュースで初めて知った。
上に書いたようにその他の地域の地名・国名も
登場するため、ちっとも気がつかなかったが、
その「アフリカ地区」で通りの名前に使われている
アフリカの国名は旧ドイツ植民地から取られている。
そのため、通りの名前を変えるための
市民運動及び団体があって、
今回の事件もそうした背景から生じたもの。
前にはそういった植民地で開いた大農場で
悪虐の限りを尽くした人物の名前が付けられた
通りもあった。この通りは現在、同名で、
反ナチ運動に貢献した人物の名前である、
とシニフィエを変える形で存続の妥協点を見ている。
通りの名前を変えるにしても、
どんな名前にするか、
特にアルファベットにしたときの表記の問題があるとか、
そんなこんなで話はだいぶ前から
先送りされて来ているとのこと。
現在の通りの名前に固執しようとする
保守派の人の意見では、
通りの名前を変えると住所が変更になるため、
公私で各方面へ届けを出さなければならず、
住民にコストがかかる、
通り名を書いたプレート等を新調しなければならないので
市当局にも負担が発生する。
要はお金が‥だそうだ。
どこの国でも地域でもそうだが、
ホント、この手の人はどうしようもない。
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